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{| class="wikitable" style="margin: 0em; width: 300px; background:#ffffff"
|colspan="2" align="center"|[[Image:USS Tarawa (CVA-40) underway at sea on 18 December 1952.jpg|300px320px|USS Tarawacenter|thumb|1952年12月18日撮影]]
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!colspan="2" style="background: #f0f0f0"|艦歴
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'''タラワ'''('''USS Tarawa, CV/CVA/CVS-40''')は、[[アメリカ海軍]]の[[エセックス級航空母艦]]。艦名は[[太平洋戦争]]の激戦地[[タラワ]][[環礁]]([[タラワの戦い]])に因む。
 
== 艦歴 ==
=== 就役~予備役編入 ===
タラワは1944年3月1日、[[バージニア州]][[ポーツマス (バージニア州)|ポーツマス]]の[[ノーフォーク海軍造船所]]で起工する。1945年5月12日、ジュリアン・C・スミス夫人([[タラワの戦い]]で[[第2海兵師団 (アメリカ軍)|第2海兵師団]]を指揮した[[ジュリアン・C・スミス]]海兵隊中将の妻)によって命名、進水し、1945年12月8日、アルヴィン・インガソル・マルストロム艦長の指揮下就役する。
[[File:F4U-4 on USS Tarawa CV-40.jpg|left|thumb|[[F4U (航空機)|F4U-4コルセア]]戦闘機を発艦させるタラワ(1946年)]]
タラワは1944年3月1日、[[バージニア州]][[ポーツマス (バージニア州)|ポーツマス]]の[[ノーフォーク海軍造船所]]で起工する。1945年5月12日、ジュリアン・C・スミス夫人([[タラワの戦い]]で[[第2海兵師団 (アメリカ軍)|第2海兵師団]]を指揮した[[ジュリアン・C・スミス]]海兵隊中将の妻)によって命名、進水し、1945年12月8日、アルヴィン・インガソル・マルストロム艦長の指揮下就役する{{sfn|DANFS}}{{Sfn|A Brief History of U.S. Navy Aircraft Carriers III}}
 
就役後は1946年2月15日まで[[ノーフォーク (バージニア州)|ノーフォーク]]に留まった後[[キューバ]]の[[グアンタナモ湾]]くに整調航海を行い、4月16日にノーフォークには4月16日に帰還する。その後[[ニューヨーク]]を訪れ4月30日に再びノーフォークに帰還する。6月末まで整調航海後の[[オーバーホール]]を行い6月28日に[[ハンプトン・ローズ]]を出港、西海岸に向かう。[[パナマ運河]]を7月初めに通過し、15日に[[カリフォルニア州]][[サンディエゴ]]に到着する。
 
整調航海後の[[オーバーホール]]を行い、6月28日に[[ハンプトン・ローズ]]を出港し西海岸に向かう。[[パナマ運河]]を7月初めに通過し、15日に[[カリフォルニア州]][[サンディエゴ]]に到着する{{sfn|DANFS}}。
訓練及び調整後、タラワはサンディエゴを出港、西太平洋へ配備となる。8月7日に[[真珠湾]]に到着、その後も西へと向かう。8月20日[[サイパン]]に到着し、9月後半まで[[マリアナ諸島]]近海で活動した後日本へと向かう。9月28日に[[横須賀港|横須賀]]に到着、10月3日まで停泊した後[[佐世保基地 (アメリカ海軍)|佐世保]]に向かい10月7日から11日まで停泊する。その後[[中国]]の北部海岸に向かい15日に[[青島市|青島]]近海に到着、同水域で30日まで活動した後マリアナ諸島に向かう。11月7日にサイパンに到着、マリアナ海域で作戦活動に従事する。1947年1月に[[沖縄県|沖縄]]へ短期間の訪問を行った後、14日に[[グアム島]]を出港し真珠湾へ向かう。1月24日に真珠湾に到着し。2月18日までハワイ水域で活動後[[クェゼリン環礁]]へ向かう。第57機動部隊の1ユニットとしてタラワは3月前半まで第38機動部隊の空母に対する攻撃演習に参加した。3月11日に真珠湾へ帰還し、その後西海岸に向かい4月29日に[[サンフランシスコ]]に到着する。
 
訓練及び調整後、タラワはサンディエゴを出港、西太平洋へ配備となる。8月7日に[[真珠湾]]に到着、その後も西へと向かう。8月20日[[サイパン]]に到着し、9月後半まで[[マリアナ諸島]]近海で活動した後日本へと向かう。9月28日に[[横須賀港|横須賀]]に到着、10月3日まで停泊した後[[佐世保基地 (アメリカ海軍)|佐世保]]に向かい10月7日から11日まで停泊する。その後[[中国]]の北部海岸に向かい15日に[[青島市|青島]]近海に到着、同水域で30日まで活動した後マリアナ諸島に向かう。11月7日にサイパンに到着、マリアナ海域で作戦動に従事する。1947年1月に[[沖縄県|沖縄]]へ短期間の訪問を行った後、14日に[[グアム島]]を出港し真珠湾へ向かう。1月24日に真珠湾に到着し。2月18日までハワイ水域で活動後[[クェゼリン環礁]]へ向かう。第57機動部隊の1ユニットとしてタラワは3月前半まで第38機動部隊の空母に対する攻撃演習に参加した。3月11日に真珠湾へ帰還し、その後西海岸に向かい4月29日に[[サンフランシスコ]]に到着する。
サンフランシスコおよびサンディエゴからの16ヶ月以上にわたる航空作戦に従事した後、タラワは1948年9月28日にサンディエゴを出港し世界巡航を行う。10月第2週の終わりに真珠湾に寄港、続いて最初の寄港地[[中国]]の[[青島市|青島]]に10月29日到着する。青島では5週間にわたって停泊し、12月の初めに[[香港]]および[[シンガポール]]へ向かう。シンガポールを12月23日に出港し、新しい独立国の[[セイロン (ドミニオン)|セイロン]]へ向かい、首都の[[コロンボ]]に12月29日到着する。同地を1949年1月2日に出港し[[ペルシャ湾]]で[[バーレーン]]と[[ジェッダ]]を訪問、その後[[スエズ運河]]を1月20日、21日に通過する。タラワは[[ギリシア]]、[[トルコ]]および[[クレタ島]]への航海を継続した。2月8日に[[地中海]]を横断し、[[ジブラルタル]]に12日、13日停泊する。続いて[[大西洋]]を横断し、2月21日にノーフォークに帰港した。その後、初夏まで東海岸沿いおよび[[カリブ海]]の水域で通常任務に従事した。不活性化オーバーホールの後にタラワは1949年6月30日に予備役となり、大西洋予備役艦隊入りする。
 
[[沖縄県|沖縄]]へ短期間寄港した後1947年1月には戻り、14日に[[グアム島]]を出港し真珠湾へ向かう。1月24日に真珠湾に到着、2月18日までハワイ水域で艦隊訓練に従事した後、[[クェゼリン環礁]]へ向かう。タラワは[[:en:Task Force 57|第57任務部隊]]の1ユニットとなり、3月前半まで[[第38任務部隊]]の空母に対する攻撃演習に参加した。3月11日に真珠湾へ帰還し、その後西海岸に向かい4月29日に[[サンフランシスコ]]に到着する{{sfn|DANFS}}。
タラワの予備役は18ヶ月ほど続いたが、[[朝鮮戦争]]が始まると1950年11月30日に再就役の決定がなされる。1951年2月3日にタラワは[[ロードアイランド州]][[ニューポート (ロードアイランド州)|ニューポート]]でJ・H・グリフィン艦長の指揮下再就役した。朝鮮戦争のため再就役したものの、タラワは実戦参加することはなかった。より正確に言うと、タラワは戦地に派遣された空母に代わって[[第6艦隊 (アメリカ軍)|第6艦隊]]および[[第2艦隊 (アメリカ軍)|第2艦隊]]に配属された。1952年10月1日に艦種変更がなされ、攻撃空母(CVA-40)となる。1954年春には[[朝鮮半島]]水域に到着するが、1953年7月に休戦協定が結ばれていたため実戦を経験することはなかった。
 
サンフランシスコおよびサンディエゴからの出港以来16ヶ月以上にわたる航空作戦に従事しを終えた後、タラワは1948年9月28日にサンディエゴを出港し世界巡航を行う。10月第2週の終わりに真珠湾に寄港、続いて最初の寄港地[[中国]]の[[青島市|青島]]に10月29日到着する。青島では5週間にわたって停泊し、12月の初めに[[香港]]および[[シンガポール]]へ向かう。シンガポールを12月23日に出港し、新しい独立国の[[セイロン (ドミニオン)|セイロン]]へ向かい、首都の[[コロンボ]]に12月29日到着する。同地を1949年1月2日に出港し[[ペルシャ湾]]で[[バーレーン]]と[[ジェッダ]]を訪問、その後[[スエズ運河]]を1月20日、21~21日にかけて通過する。タラワは[[ギリシア]]、[[トルコ]]および[[クレタ島]]への航海を継続した。2月8日に[[地中海]]を横断し、[[ジブラルタル]]に12日、13~13の間停泊する。続いて[[大西洋]]を横断し、2月21日にノーフォークに帰港した。その後、初夏まで東海岸沿いおよび[[カリブ海]]の水域で通常任務に従事した。不活性化オーバーホールの後にタラワは1949年6月30日に予備役となり、大西洋予備役艦隊入りする
タラワは1954年9月に東海岸へ帰還し、通常任務を再開した。12月に[[対潜空母|対潜水艦作戦支援空母]]への転換および[[オーバーホール]]のため[[ボストン海軍造船所]]に入渠する。転換のための改修作業中の1955年1月10日に艦種変更が行われ、分類番号は CVS-40 となった。転換作業はその夏完了し、整調後にタラワはロードアイランド州[[クォンセット・ポイント]]を拠点として作戦活動を行い、対潜水艦戦航空団を指揮しながら訓練を行った。その秋に対潜水艦攻撃第4グループとの演習に参加し、その後クォンセット・ポイントに帰還すると翌年春の演習準備を行った。
 
第二次世界大戦後の海軍の縮小に伴い、この時期までに他の同型艦の多くが予備役となっていたが、タラワも例外ではなかった。タラワは不活性化オーバーホールの後1949年6月30日に退役し、大西洋予備役艦隊に編入された{{sfn|DANFS}}。
1958年8月から9月の間にタラワは海軍第88任務部隊の一部として[[アーガス作戦]]に参加した。同作戦は高高度大気圏での[[核実験]]であった。
 
=== 再就役 ===
タラワはその経歴の残りを大西洋艦隊所属で過ごした。クォンセット・ポイントおよびノーフォークから東海岸で活動し、しばしばカリブ海水域で演習を行った。その後のタラワの任務はおおむね大西洋艦隊のためのパイロット訓練と、ますます増大する[[ソビエト連邦|ソ連]][[潜水艦]]の脅威に対する偵察任務が占めることとなった。
[[File:USS Tarawa (CVS-40) in 1958.jpg|left|thumb|核実験「アーガス作戦」に参加するタラワ(1958年9月)]]
タラワの予備役は18ヶ月ほど続いたが、[[朝鮮戦争]]が始まると1950年11月30日に再就役の決定がなされる。1951年2月3日にタラワは[[ロードアイランド州]][[ニューポート (ロードアイランド州)|ニューポート]]でJ・H・グリフィン艦長の指揮のもと再就役した。
 
タラワの予備役は18ヶ月ほど続いたが、[[朝鮮戦争]]が始まると1950年11月30日に再就役の決定がなされる。1951年2月3日にタラワは[[ロードアイランド州]][[ニューポート (ロードアイランド州)|ニューポート]]でJ・H・グリフィン艦長の指揮下再就役した。朝鮮戦争のため再就役したものの、タラワは実戦参加することはなかった。より正確に言うと、タラワは戦地に派遣された空母に代わって[[第6艦隊 (アメリカ軍)|第6艦隊]]および[[第2艦隊 (アメリカ軍)|第2艦隊]]に配属された。1952年10月1日に艦種変更がなされ、攻撃空母(CVA-40)となる。1954年春には[[朝鮮半島]]水域に到着するが、1953年7月に休戦協定が結ばれていたため実戦を経験することはなかった{{sfn|DANFS}}
タラワは、就役した時期が遅い為に改装工事の時期を逸し、殆ど原型のまま早くも[[1960年]]5月に退役して[[ペンシルベニア州]][[フィラデルフィア]]で予備役艦隊入りした。保管中の1961年5月に艦種変更されて航空機輸送艦(AVT-12)となったが、現役に復帰する事なく、エセックス級としては3番目の1967年6月1日に除籍された。艦体は、1968年10月3日にスクラップとして[[メリーランド州]][[ボルティモア]]のボストン・メタルズ株式会社に売却された。
 
タラワは1954年9月に東海岸へ帰還し、通常任務を再開した。12月に[[対潜空母|対潜水艦作戦支援空母]]への転換および[[オーバーホール]]のため[[ボストン海軍造船所]]に入渠する。転換のための改修作業中の1955年1月10日に艦種変更が行われ、分類番号は CVS-40 となった。転換作業はその夏完了し、整調後にタラワはロードアイランド州[[クォンセット・ポイント]]を拠点として作戦活動を行い、対潜水艦戦航空団を指揮しながら訓練を行った。その秋に対潜水艦攻撃第4グループとの演習に参加し、その後クォンセット・ポイントに帰還すると翌年春の演習準備を行った{{sfn|DANFS}}
 
1958年8月から9月の間にタラワは海軍第88任務部隊の一部として[[アーガス作戦]]に参加した。同作戦は高高度大気圏での[[核実験]]であった{{sfn|DANFS}}
 
タラワはその経歴の残りを後、大西洋艦隊所属で過ごての活動が続いた。クォンセット・ポイントおよびノーフォークから東海岸で活動し、しばしばカリブ海水域で演習を行った。その後のタラワの任務はおおむね大西洋艦隊のためのパイロット訓練と、ますます増大する[[ソビエト連邦|ソ連]][[潜水艦]]の脅威に対する偵察任務が占めることとなった。
 
ここでタラワの活動は終わりを迎える。[[1960年]]5月1日に退役して[[ペンシルベニア州]][[フィラデルフィア]]で予備役となり、そのまま保管状態が続いた。1961年5月に艦種変更されて航空機輸送艦(AVT-12)となったがこれは形式的なもので、そのまま現役に復帰する事なく1967年6月1日に除籍された。
 
船体は1968年10月3日にスクラップとして[[メリーランド州]][[ボルティモア]]のボストン・メタルズ株式会社に売却された{{sfn|DANFS}}{{sfn|A Brief History of U.S. Navy Aircraft Carriers V}}{{sfn|Silverstone|2011|p=4}}。
 
エセックス級の中でタラワは3番目に早く除籍され、また実戦を経験しなかった唯一の艦である。[[SCB-27]]や[[SCB-125]]といった近代化改装を受けなかったため、艦容は就役から最後までほぼ変化しなかった。
 
== 関連項目 ==
* [[アメリカ海軍航空母艦一覧]]
* [[アメリカ海軍艦艇一覧]]
 
== 脚注 ==
{{Reflist}}
 
== 参考文献 ==
*{{cite book|last1=Silverstone|first1=Paul|title=The Navy of the Nuclear Age, 1947–2007|date=2011|publisher=Routledge|isbn=9781135864668|ref=harv}}
*{{cite web|title=Tarawa I (CV-40)|url=http://www.history.navy.mil/research/histories/ship-histories/danfs/t/tarawa-i.html|website=www.history.navy.mil|accessdate=5 June 2017|ref=CITEREFDANFS}}
*{{cite web|title=A Brief History of U.S. Navy Aircraft Carriers Part III - Post War (1945-1949)|url=http://www.navy.mil/navydata/nav_legacy.asp?id=20|website=www.navy.mil|accessdate=5 June 2017|ref=CITEREFA Brief History of U.S. Navy Aircraft Carriers III}}
*{{cite web|title=A Brief History of U.S. Navy Aircraft Carriers Part V - Space and Vietnam|url=http://www.navy.mil/navydata/nav_legacy.asp?id=22|website=www.navy.mil|accessdate=5 June 2017|ref=CITEREFA Brief History of U.S. Navy Aircraft Carriers V}}
 
== 外部リンク ==
* [http://www.usstarawavets.org USS ''Tarawa'' Veterans' Association homepage]
* [https://web.archive.org/web/20030212115447/http://www.history.navy.mil/photos/sh-usn/usnsh-t/cv40.htm Navy photographs of ''Tarawa'' (CV-40)]
* [https://www.navysite.de/cv/cv40.htm USS Tarawa (CV 40)]
* [http://www.navsource.org/archives/02/40.htm NavSource Online: Aircraft Carrier Photo Archive USS TARAWA(CV-40)(later CVA-40, CVS-40 and AVT-12)]
 
{{エセックス級航空母艦}}