「フリードリヒ1世 (ブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公)」の版間の差分

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== 生涯 ==
[[File:Kaiserkreuz Kleinenglis.jpg|thumb|200px|クライネングリスの石の十字架]]
1381年まで父の従兄弟ブラウンシュヴァイク=ゲッティンゲン公[[オットー (ブラウンシュヴァイク=ゲッティンゲン公)|オットー]]が後見人をつとめた。父と同様、フリードリヒ1世も[[リューネブルク継承戦争]]を継続させたが、1373年にフリードリヒ1世と弟らは[[アスカーニエン家|アスカン家]]のザクセン=ヴィッテンベルク公と条約を結び和睦した。この条約において、リューネブルク侯領は二家で交互に統治することとなった。しかし、この対立は続き、[[1388年]]、最終的にフリードリヒ1世が弟らと共にリューネブルクを征服して終わった。