「宇田川玄随」の版間の差分

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'''宇田川 玄随'''(うだがわ げんずい、[[宝暦]]5年[[12月27日 (旧暦)|12月27日]]([[1756年]][[1月28日]]) - [[寛政]]9年[[12月18日 (旧暦)|12月18日]]([[1798年]][[2月3日]]))は[[医学者]]、[[蘭学者]]。名は晋、字は明卿、号は槐園(かいえん)または東海(とうかい)。代々江戸詰の[[津山藩|津山]][[藩医]]を務める家系に生まれる。元来は漢方医であったが、[[杉田玄白]]・[[前野良沢]]らと交流するうちに蘭学へと転向し、[[大槻玄沢]]の[[芝蘭堂]]で学ぶ。[[宇田川玄真]]は養子。弟子に[[佐藤信淵]]など。 墓所は[[泰安寺]]([[岡山県]][[津山市]])。
 
== 著作 ==
*『西説内科撰要』 - ヨハネス・デ・ゴルテル著の『簡明内科書』の訳書で日本初の[[内科学|内科]]書。[[桂川甫周]]より与えられた。
*『内科書付録《製錬術》』 - [[ステフェン・ブランカールト]]著の訳書で日本初の[[製薬]][[化学]]書。
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*『[[ハルマ和解]]』 - 編纂に参加・協力。
 
== 関連項目 ==
*[[津山洋学資料館]]
 
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[[Category:江戸時代の医師]]
[[Category:津山藩の人物]]
[[Category:宇田川家|けんすい]]
[[Category:1756年生]]
[[Category:1798年没]]