「長嶋茂雄」の版間の差分

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=== 現役引退 ===
[[1974年]][[10月12日]]、中日の優勝が決まり巨人のV10が消えた日、長嶋は現役引退を表明{{#tag:ref|当時[[ニッポン放送ショウアップナイター]]の実況アナウンサーであった[[深澤弘]]によると、10月1日に長嶋から電話で自宅に来るように言われ、現役引退する旨を深澤に直接伝えたという<ref>ニッポン放送 編『ショウアップナイター50年 プロ野球感動名場面完全読本』ベースボール・マガジン社、2016年、27・112-116頁。ISBN 978-4-583-11069-1</ref>。}}。翌日のスポーツ新聞の一面は長嶋引退の記事一色となり、中日の優勝はまるで脇に追いやられてしまっという<ref name="NettouProYakyuu30Ban">文春ビジュアル文庫「熱闘!プロ野球三十番勝負」[[文藝春秋社]]</ref>。引退会見では「僕はボロボロになれるまでやれて幸せだった。最後まで試合に出ますよ」と残りの中日戦2試合の出場を約束した。また、別のインタビューでは「『あしたはきっと良いことがある』。その日、ベストを出しきって駄目だったとしても、僕はそう信じ、ただ夢中でバットを振ってきました。悔いはありません」と自分の現役時代について振り返った<ref name="nytjul82007"/>。
 
引退会見翌日の[[10月13日]]の中日戦[[ダブルヘッダー]]が長嶋の引退試合となる予定だったが、降雨で14日に順延となった。この日は中日の優勝パレードと同日であり、中日側は監督の[[与那嶺要]]以下、[[星野仙一]]、[[高木守道]]ら主力はパレードへの参加を優先したため、力の衰えた選手や一軍半の選手が出場することとなった。与那嶺、星野、高木らは電話で長嶋に非礼を詫びたが、それに対して長嶋は「こっちのことより、(中日にとって1954年以来の)20年ぶりの優勝を思い切り祝ってくださいよ」と明るく答えたという<ref name="NettouProYakyuu30Ban" />。
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