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同年10月28日、[[日本野球機構]]より[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表]]監督への就任を要請され受諾。背番号は83。{{by|2009年}}3月24日の決勝戦で[[大韓民国|韓国]]を5-3で破り、日本を大会2連覇に導いた。
 
[[ファイル:Tatsunori Hara 2009 Japan Series.jpg|thumb|[[2009年の日本シリーズ]]での原辰徳]]
[[File:Tatsunori Hara-1.jpg|thumb|優勝パレードの原監督(2009年11月22日撮影)]]
2009年シーズンが開幕すると、育成枠出身の[[松本哲也 (野球)|松本哲也]]や坂本・亀井、原自ら'''「風神・雷神」'''と名づけた左右の中継ぎコンビ・山口と越智などの若手が次々に台頭した。また、上原浩治のMLB移籍によって先発投手の戦力低下が危惧されたが、ヤクルトから獲得した[[ディッキー・ゴンザレス]]やテスト生出身の[[ウィルフィン・オビスポ]]がその穴を埋めたため前年とは対照的に春先から首位を快走した。野手陣においては、3年目の坂本を1番打者として起用、また前年までは代打や守備固めでの起用が多かった[[松本哲也 (野球)|松本哲也]]・亀井善行をスタメンとして固定するなど、勢いのある若手をレギュラーとして起用した。リードした試合の終盤には主力選手をベンチに下げたり、[[谷佳知]]を相手先発投手に応じてスタメン・代打と使い分けたり、捕手の[[阿部慎之助]]や外野手の亀井を一塁手としても起用するなど選手層の厚さを活かした柔軟な用兵を見せ好成績をキープし首位を快走、9月23日に[[V9 (読売ジャイアンツ)|V9]]({{by|1965年}} - {{by|1973年}})以来のリーグ3連覇を果たした。ベテランの[[小笠原道大]]や[[アレックス・ラミレス]]が期待通りの成績を残したことも、若手起用にも繋がり相乗効果となり、年間安打数1375本は球団歴代最多となった。第2次巨人監督時代の長嶋らと対照的にベテランやホームランバッターに依存せず、若手を積極的に起用する原の手腕は多くの解説者に高く評価された<ref>(株)ベースボールマガジン社刊『週刊ベースボール』2009年10月26日号「特集 原巨人、3連覇!」では岡田彰布(90 - 91ページ)、[[豊田泰光]](52 - 53ページ)、[[水野雄仁]](28 - 29ページ)が賛辞のコメントを寄せている。</ref>。[[2009年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ]]第2ステージでは3年連続となった中日相手に4勝1敗(レギュラーシーズン1位のアドバンテージ1勝を含む)で勝利。2年連続[[2009年の日本シリーズ|日本シリーズ]]出場となった。日本シリーズでは[[北海道日本ハムファイターズ]]に4勝2敗で勝利。監督として2度目の日本一を達成する。11月12日にはWBC及び日本シリーズの優勝が評価され、2度目の[[正力松太郎賞]]を受賞。11月14日にはアジアシリーズの代替大会として行われた[[日韓クラブチャンピオンシップ#2009年|日韓クラブチャンピオンシップ]]にも勝利。監督としてWBC、セ・リーグ、日本シリーズ、日韓統一王者の4冠を達成した。
 
2009年12月6日に[[スイス]]・[[ローザンヌ]]で開かれた[[国際野球連盟]]の総会において[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック]]優勝などの実績が評価され、世界最優秀監督に選出された<ref>[http://mlb.mlb.com/news/article.jsp?ymd=20091206&content_id=7763732&vkey=news_mlb&fext=.jsp&c_id=mlb Italy's Fraccari elected IBAF president]</ref>。
 
{{by|2010年}}は、ドラフト1位で[[長野久義]]を獲得し前年同様リーグ優勝が期待されたが、前年度活躍した[[内海哲也]]、[[東野峻]]、ゴンザレス、オビスポといった主力投手がそろって不調に陥り、[[高橋尚成]]の退団や[[マーク・クルーン]]の救援失敗も響いてチーム防御率が1点近く悪化し、連覇を逃した。
 
{{by|2011年}}は、前年度の失敗から投手総合コーチに[[川口和久]]を招聘し立て直しを図り、この年入団した[[澤村拓一]]の活躍もあり改善したが、抑え投手を固定できず、[[久保裕也 (野球)|久保裕也]]に決まるまでは[[レビ・ロメロ]]や[[ジョナサン・アルバラデホ]]などを日替わりで起用した。また、この年から導入された統一球に苦戦し、前年までの主な得点源であった本塁打が激減、得点力が大きく低下した。
{{by|2014年}}、父が心筋梗塞で入院したため、5月5日は離脱することが球団より発表された。この日の代理は再び川相が務め、翌日には現場復帰した。ペナントレースでは3年連続優勝を果たしたが、規定打席到達の3割打者不在とエース・[[菅野智之]]を欠いた状況下で臨んだ[[2014年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ]]では[[阪神タイガース]]に敗れて[[2014年の日本シリーズ|日本シリーズ]]に出場することは出来なかった。
 
{{by|2015年}}4月15日に、[[B型インフルエンザウイルス]]に[[感染]]したため、当面自宅で静養となり監督代行を三たび川相が務める事が発表された<ref>[http://www.giants.jp/G/gnews/news_399483.html 原監督のインフルエンザ感染について] 読売巨人軍公式サイト (2015年4月15日) 2015年4月24日閲覧</ref>。4月21日の広島東洋カープ戦で、復帰した<ref>[http://www.giants.jp/G/result/digest/201504211digest.html 主軸がタイムリーそろい踏み、原監督の復帰戦を見事白星で飾る] 読売巨人軍公式サイト (2015年4月21日) 2015年4月24日閲覧</ref>。同年は打撃陣の不調が前年より悪化し、2年連続で規定打席に到達した3割打者が出ず、その状況下で最後まで優勝を争ったものの2位に終わり、[[2015年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ]]では、ファーストステージの阪神相手に2勝1敗で下して前年のリベンジを果たすもファイナルステージのヤクルト戦では初戦を取るも3連敗でアドバンテージ含め1勝4敗となり敗退した。10月19日に、正式に監督を退任することを表明した<ref>[http://www.giants.jp/G/gnews/news_3910049.html 「夢の続き、全うできた」原監督が退任 - 読売巨人軍公式サイト](2015年10月19日)</ref>。大学時代から親交がある岡田彰布は原の勇退の報を聞いて「まさかとは思ったわ。優勝7回、日本一3回やで。すごいことや。「お疲れ様」と言いたいわ」と述べている<ref>[http://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=078-20151109-01 原が辞めた理由は俺もよく分かる | 週刊ベースボールONLINE]より。</ref>。
 
2016年に読売ジャイアンツの球団特別顧問に就任。1月18日に母校・東海大の湘南キャンパスで開かれた同大特別功労賞の授賞式に参加し、同大学出身の柔道男子日本代表・[[井上康生]]監督と行った対談の中で「今年はテレビ解説とかは一切しない。ただ、開幕戦は『ゲストなら出ます』と言った」と明言した<ref>[http://www.hochi.co.jp/giants/20160118-OHT1T50195.html 【巨人】原氏、開幕ヤクルト戦で“解説”](2016年1月19日)</ref>。
2016年12月、巨人OB会の幹事に就任<ref>[http://www.sanspo.com/baseball/news/20161205/gia16120503440009-n1.html 巨人OB会総会に92人 原氏が幹事就任「全面協力します」]</ref>。
 
2017年から[[日本テレビ]]の解説者として本格的に復帰する<ref>{{Cite web |url=http://www.ntv.co.jp/info/pressrelease/20170227.html |title=日本テレビ 2017年 読売巨人軍主催ゲーム 野球中継について |publisher=日テレ企業・IR情報 |accessdate=2017-02-27}}</ref>。その他[[TBSテレビ|TBS]]制作の侍ジャパン中継のゲスト解説者としても出演するした
 
2018年度野球殿堂入りを果たしている
 
=== 第3次巨人監督時代 ===
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