「エルヴィン・ロンメル」の版間の差分

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しかし休戦協定調印の前後、ロンメルの師団はどんどん南進していた。6月21日には[[レンヌ]]を通過し、6月25日には[[ボルドー]]を占領した。更に師団の先遣隊はスペイン国境付近まで進んだ。とはいってもこの進軍に戦闘は発生しなかった。単に占領の既成事実化を図るための進軍であった<ref name="山崎(2009)178">[[#山崎(2009)|山崎(2009)、p.178]]</ref>。
 
===== ロンメルの師団の戦果と損害、またその評価 =====
[[File:Bundesarchiv Bild 146-1970-076-43, Paris, Erwin Rommel bei Siegesparade.jpg|thumb|190px|1940年6月、ドイツ軍占領下フランス・パリで行われた戦勝パレードに出席したロンメル少将。]]
西方電撃戦を通じてロンメルの第7装甲師団の戦果は、捕虜9万7000人の他、鹵獲兵器として戦車・装甲車458両、各種砲277門、対戦車砲64門、トラック4000両から5000両、乗用車1500両から2000両、馬車1500両から2000両、バス300両から400両、オートバイ300台から400台がある<ref>[[#ヤング(1969)|ヤング(1969)、p.105-106]]</ref>。また敵航空機を52機撃墜し、うち12機を地上で鹵獲している<ref name="ヤング(1969)106">[[#ヤング(1969)|ヤング(1969)、p.106]]</ref>。師団の進軍スピードが速すぎたため、正確に数えられていないが、鹵獲兵器についてはこの数字よりもっと多かったといわれる<ref name="ヤング(1969)106"/>。