「岡田健蔵」の版間の差分

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そんな岡田に助力したのが前述の相馬哲平である。大正初期のある日に街中で岡田と出逢った相馬は、耐火構造の図書館を目指す彼の想いを知り、その場で手持ちの千円を岡田に託し、さらに皇太子嘉仁(後の[[大正天皇]])に拝謁した記念に建築費用3千円の寄付を約束した{{r|STV}}。その後も物価の高騰につれて建築費が当初の約3倍にまで膨れ上がったため、岡田はさらに相馬に寄付を懇願し、最終的に相馬の寄付金は9千円にまでなった{{r|ずぼん200711_p16}}{{Sfn|神山編|1961|p=110}}{{refnest|group=*|name=貨幣価値|当時の貨幣価値の参考として、[[1915年]](大正4年)当時の大学卒の月給が35円から45円程度であった<ref name=坂本p87>{{Harvnb|坂本|1998||pp=87-94}}</ref>。}}。
 
相馬からの多額の寄付により、[[1916年]](大正5年)、[[鉄筋コンクリート構造]]の5階建ての[[書庫]]が完成した{{Sfn|神山編|1961|pp=36-37}}<ref>{{Cite web|url=http://hakodate-lib.jp/pdf/dat/report.pdf |title=函館市の図書館 2015|accessdate=2016-5-15|date=2015-9|format=PDF|publisher=函館市中央図書館|page=2 <!-- |archiveurl=http://megalodon.jp/2016-0515-1712-27/hakodate-lib.jp/pdf/dat/report.pdf |archivedate=2016-5-15 --> }}</ref>。これは北海道最初の鉄筋コンクリト構造の建築物である<ref name=函館市>[[#函館市文化・スポーツ振興財団|函館市文化・スポーツ振興財団]]</ref>。当時の公共建築物は[[木構造 (建築)|木構造]]が主流であり、災害や劣化といった木構造の欠点を解決した建築物として、この書庫は北海道中の注目を集めた{{r|STV}}。
 
=== 私生活での苦難 ===