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{{Infobox 武道・武術
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|読み= おおいししんかげりゅう
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|画像説明=
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|使用武器=[[日本刀]]
|発生国={{Flagicon|JPN}} [[日本]]
|発生年=[[江戸時代]]
|創始者=[[大石種次]]
|源流=[[新陰流]]<br />[[大島流]]
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|派生種目=
|主要技術=[[剣術]]
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}}
 
'''大石神影流'''(おおいししんかげりゅう)は、[[大石種次]](進、後に七太夫、武楽)が開いた[[剣術]]の流派。'''大石流'''とも呼ばれる。[[福岡県]]の[[大牟田市]]・[[柳川市]]に現存する。
 
== 概要 ==
開祖は'''大石進種次'''(武楽)、2代は'''大石進種昌'''といずれも「大石進」と名乗っており、またいずれの大石進も[[江戸]]に出ているので、この両者を混同して大石進という一人の剣客と誤解されていることが多い。
 
大石進種次は、吊した鞠を[[竹刀]]で突いて、突き技を磨いたと伝えられる。その後、父親から[[新陰流|神影流剣術]]と[[大島流|大島流槍術]]を継承した後に、大石神影流を開いたとされる。
 
[[1832年]]([[天保]]3年)、種次は江戸に出て、5[[尺]]3[[寸]]の長竹刀を遣い、突きと胴切りで、江戸の名だたる剣術師家を倒した。この時に、『一刀流極意』によれば[[白井亨]]のみが種次に勝ったとも、[[千葉周作]]が樽の蓋を鍔にして引き分けたともいわれる。翌[[1833年]](天保4年)には[[男谷信友]]に突き技で勝ったという。[[勝海舟]]も当時のことを「御一新以上の騒ぎ」と記しており、その後長竹刀が流行した。
 
種次の子である種昌も、大石神影流を継承した後、江戸に出て、5尺3寸の長竹刀で江戸の名だたる剣術師家を倒した。
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種次、種昌二人ともに江戸で目覚ましい戦績を残したことによって、剣術修行の目的地に大石道場のある[[筑後国|筑後]][[柳河藩]]を目指す者が多く出て、大石神影流は多くの地域に伝わった。大石道場で修行した他藩の者の中に[[土佐藩]]士・[[樋口真吉]]、[[樋口甚内|甚内]]兄弟がいた。
 
樋口真吉は土佐藩で[[無外流|無外流剣術]]と[[高木流|高木流槍術]]を修行していたが、独自に[[竹刀]]や[[防具]]の工夫や技の改良を行い、他流試合を行ったので破門された。[[1837年]]([[天保]]8年)、樋口は廻国修行に出て、柳河の大石道場に入門した。樋口真吉は剣術だけではなく槍術も大石進に学び、入門後28日で皆伝を授けられた。<ref>森本邦生はこの皆伝について「真吉が短期間で全てを習得したのではなく、大石進が樋口真吉の廻国修行の事情をくんだと考えるのが妥当であろう」としている。(「樋口真吉第一回廻国修行日記について -大石神影流の土佐への伝播-」)</ref>この後も樋口真吉は何度も柳河へ赴き大石進のもとで修行した。樋口兄弟が皆伝を得て土佐に帰ったことにより、大石神影流が土佐藩に伝えられた。また、大石進が[[高知市|高知]]に招かれ、大石神影流が土佐藩の[[藩校]]で指導されるようになった。
 
流儀の特徴としては、剣尖を敵の喉に向け、左肘を曲げて水平に構えるという、まるで[[槍術]]の構えを思わせる「附」(つけ)という構えから、左片手突きを繰り出すのが得意な流派である。これは大石種次が大島流槍術の指南でもあったことから、槍術から発案したものと思われる。大石進は5尺3寸の長竹刀を遣ったが、流儀の定寸は各自の胸の高さまで(これでも当時の基準では長い竹刀だが)である。[[二刀流|二刀]]の形や「鞘之内」と称する[[抜刀術|居合]]、[[小太刀術]]も含み、すべての剣技は型の応用変化であるとして、その数は80ほどある。
 
大石種次の墓は恵日寺にある。第6代宗家は大石英一、第7代宗家は平成26年4月20日、大石馨に継承された。
 
== 特徴 ==
流儀の特徴としては、剣尖を敵の喉に向け、左肘を曲げて水平に構えるという、まるで[[槍術]]の構えを思わせる「附」(つけ)という構えから、左片手突きを繰り出すのが得意な流派である。これは大石種次が大島流槍術の指南でもあったことから、槍術から発案したものと思われる。大石進は5尺3寸の長竹刀を遣ったが、流儀の定寸は各自の胸の高さまで(これでも当時の基準では長い竹刀だが)である。[[二刀流|二刀]]の形や「鞘之内」と称する[[抜刀術|居合]]、[[小太刀術]]も含み、すべての剣技は型の応用変化であるとして、その数は80ほどある。
 
== 脚注 ==
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*[[綿谷雪]] 『日本剣豪100選』 [[秋田書店]]
*森本邦生 「樋口真吉第一回廻国修行日記について -大石神影流の土佐への伝播-」(『武道学研究』第42巻別冊 日本武道学会 2009年)
 
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{{DEFAULTSORT:おおいししんかけりゆう}}
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[[Category:居合]]
[[Category:柳河藩]]
[[Category:現存する剣術流派]]
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