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'''メシカ'''(Mexica、{{lang-nah|[[wikt:en:mexihcah|Mēxihcah]]}})は、[[ナワ族]]の一集団で、[[メキシコ盆地]]の[[テスココ湖]]の島に[[テノチティトラン]]と{{仮リンク|[[トラテロルコ|en|Tlatelolco (altepetl)}}]]の2つの都市を建設した(いずれも現在の[[メキシコシティ]])。[[アステカ]]帝国の支配者として知られ、[[メキシコ]]の名はメシカに由来する。
 
== テノチティトラン建設までの伝説 ==
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メシカはテスココ湖の上に[[チナンパ]]と呼ばれる開拓地を造り、運河をはりめぐらした。カヌーや船で周辺の町と交易を行い、町は急速に成長した。テスココ湖は他国の侵略からテノチティトランを守るための防壁としても働いた<ref name="smith6">Smith (1996) p.46</ref>。
 
テスココ湖の周辺では、東の[[テスココ]]を都とする[[アコルワ]]と、西の[[アスカポツァルコ]]を都とする{{仮リンク|[[テパネカ|en|Tepanec}}]]の二大集団があった。メシカはテパネカの支配者である[[テソソモク]]に従属した<ref name="smith6"/>。
 
発展したテノチティトランでは1372年に最初の支配者で、コルワカンの領主の娘(生贄になった人物とは別)を母とする[[アカマピチトリ]]が即位した。その子の{{仮リンク|[[ウィツィリウィトル|en|Huitzilihuitl}}]]はテソソモクの娘と結婚し、第3代支配者となる{{仮リンク|[[チマルポポカ|en|Chimalpopoca}}]]が生まれた。ウィツィリウィトルはまた[[クエルナバカ|クァウナワク]]の支配者の娘と結婚して第5代支配者となる{{仮リンク|[[モテクソマ1世|en|Moctezuma I}}]]が生まれた<ref>Smith (1996) pp.47-48</ref><ref name="ency"/>。
 
テパネカでテソソモクが没すると後継者争いがおきた。チマルポポカは争いにまきこまれて殺され、ウィツィリウィトルの弟の[[イツコアトル]]がその後をついだ。テパネカで新たに即位した{{仮リンク|[[マシュトラ|en|Maxtla}}]]に対して、メシカ(テノチティトラン)、アコルワ(テスココ)、ウェショツィンカ、およびテパネカの反マシュトラ勢力(トラコパン)が1428年に同盟してアスカポツァルコのテパネカを破った。ウェショツィンカを除く3つの集団はその後も同盟を保ち、征服地からの貢納品はテノチティトラン:2、テスココ:2、トラコパン:1の割合で分けることに決められた。これがアステカ三国同盟、すなわちアステカ帝国である<ref>Smith (1996) pp.49-50</ref>。帝国が拡大するにつれて、三国同盟のうちテノチティトランの比重が時とともに高まっていき、実質上メシカ帝国になっていった<ref>Smith (1996) p.51</ref>(以下の歴史は[[アステカ]]を参照)。
 
== 脚注 ==