「カピチュレーション」の版間の差分

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== 概要 ==
マムルーク朝を併合したオスマン帝国も、条約アフドナーメ(条約の書)を結んで[[ムスターミン]]を受け入れた。アフドナーメの条項は多岐にわたる。特に対外的に重要な部分は西洋でカピチュレーションと呼ばれてきた。アフドナーメは、[[ドゥブロヴニク]]・[[ガラタ]]・[[ナクソス公国]]などに保護の条件を示したり、ヴェネツィアや[[ポーランド]]などへ友好・講和を打診したりした。ヴェネツィアの場合、マムルーク朝の併合に伴い適用範囲が[[シリア]]と[[エジプト]]に拡大した。
 
フランスとのカピチュレーションは、オスマン帝国にとり経済的・政治的な意味を持っていた。首都[[イスタンブール]]を中心とした[[レバント|レヴァント貿易]]を活性化させる経済目的と、フランスとの関係を密にする政治目的である。当時オスマン帝国とフランスは、[[スペイン・ハプスブルク朝]]という共通の敵をもっていた。スペインと[[神聖ローマ帝国]]に挟まれたフランソワ1世はスレイマン1世に援助を求めた。そこでスレイマン1世はオスマン帝国という「強国」の支配者として、「弱国」たるフランスに恩恵的に特権を与えた。これは、後の[[チューリップ時代]]でフランス文化を輸入するきっかけとなった。
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