「ノーフォーク島」の版間の差分

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=== その後 ===
[[1825年]]に再開され[[1856年]]までに流刑地として存続し続けた。オーストラリアが流刑地でなくなるに従いノーフォーク島も流刑地でなくなり、[[1856年]]に[[バウンティ号の反乱]]者の子孫194人が[[ピトケアン諸島|ピトケアン島]]から移り住み、それ以来ピトケアン島民がノーフォーク島の主要な定住者となった。[[オーストラリア本土]]から島への移民は第二次世界大戦後に増加した。1913年に[[ニューサウスウェールズ州]]に代わってオーストラリア連邦政府が管理する特別地域になり、1979年にはノーフォーク島法により立法評議会が設立された。2015年5月12日にオーストラリアの下院によりノーフォーク島の立法評議会の廃止が採決され、2016年7月にノーフォーク島の自治法は廃止された。
 
== 政治 ==