「カールハインツ・シュトックハウゼン」の版間の差分

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== 作風 ==
典型的なセリエリズムに基づく「点の音楽」から「群の音楽」、「モメント形式」、そしてメロディー的な要素とセリエリズムの統合を図った「フォルメル技法」へと作曲技法を発展させていった。また、世界で最初の電子音楽を作曲し、生演奏を電気的に変調させる[[ライヴ・エレクトロニクス]]作品も手掛けた。不確定性や多義性を伴った形式を試行していた時期もある。
 
=== 第一期(1951-1960) ===
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これまでの作品には分数番号が用いられた「未熟な」作品だったが、作品番号第1番が与えられた10楽器のための「コントラ・プンクテ」(1952年-1953年)を経て、「[[ピアノ曲I〜IV]]」(1952年)では「[[群作法]]」を試みる。これは、個々の点ではなくそれらの集合体であるより上位の概念「群」にセリーを適用する作曲法である<ref>「[[群作法]](群の音楽)」に関しては、『[[シュトックハウゼン音楽論集]]』所収「群の音楽 『ピアノ曲I』リスニングガイド」に詳しい。</ref>。また、続くピアノ曲集「ピアノ曲V〜X」(1954年-1955年)では、これまでに無かった新しい記譜法の模索が行われている(「ピアノ曲VI」及び「ピアノ曲X」)。
 
フランスからケルンに帰ると西ドイツ放送が新設した電子音楽用のスタジオで働き始め、世界で最初の[[電子音楽]]である「[[習作I]]」(1953年)及び「[[習作II]]」(1954年)を作曲。続いて、「[[少年の歌]]」(1955年-1956年)や電子音楽とピアノと打楽器のための「[[コンタクテ]]」(1958年-1960年)などが作曲された。「少年の歌」は、『[[旧約聖書]]』の「[[ダニエル書]]」から採られたテキストを歌う子供の声の録音と電子音楽が組み合わされた作品で、「コンタクテ(接触)」は電子音楽と生の演奏がタイトルの通り「接触」し、共演する。
 
音響の空間配置も意図的に音楽構造に取り入れる「空間音楽」の概念もすでにこの時期には打ち出されていた<ref>空間的な演出が採り入れられた音楽はそれ以前にも存在していたが([[ルネサンス]]期の合唱曲や[[エクトル・ベルリオーズ|ベルリオーズ]]の音楽など)、シュトックハウゼンは『シュトックハウゼン音楽論集』所収「空間の中の音楽」にて、それらの音楽と自作をはじめとする現代音楽における空間性の相違について強調している。</ref>。ブーレーズとの書簡からは、この時期既に不確定性の作曲を模索していたことが明らかとなっている。