「リナ・メディナ」の版間の差分

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== 子供の父親と彼女のその後 ==
メディナは子供の父親とその後の自身の暮らしについては明らかにしていない。エスコメル医師は、妊娠について、リナ自身がよく理解していないのではないかと語っている<ref name="Snopes"/>。妊娠が明らかになった直後、彼女の父親が[[児童性的虐待]]の疑いで逮捕されたが、証拠不十分のため釈放され、生物学上の父親が特定されることはなかった<ref name="Snopes"/><ref name="littlemother">{{cite web |url=http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,893791,00.html |publisher=''[[Time (magazine)|Time]]'' |title=Little Mother |date=16 December 1957 |accessdate=16 November 2011 |archiveurl=https://www.webcitation.org/5iJ7D1EHq?url=http://www.time.com/time/magazine/article/0,9171,893791,00.html |archivedate=2009年7月16日 |deadurl=yes |df= |deadlinkdate=2017年9月 }}</ref>。彼女の息子は健康に育ったが、[[1979年]]、40歳のときに亡くなった<ref name="Snopes"/>。
 
リナは息子を高校に通わせるのを助けてくれたロサーダ医師の秘書として働いた<ref name="leon"/>。その後、ラウル・フラードと結婚し、[[1972年]]に2人目の男の子を出産した。彼らは2002年現在、「リトル・シカゴ」として知られているリマの貧困地域に住んでいる<ref name="Dietz1998">{{cite book|author=Henry Dietz|title=Urban Poverty, Political Participation, and the State: Lima, 1970–1990|url=https://books.google.com/books?id=Qf0NQ3Eut2IC&pg=PA83&dq=lima+chicago+chico|date=15 July 1998|publisher=University of Pittsburgh Press|isbn=978-0-8229-7193-1|page=83}}</ref>。彼女は、2002年、リナは[[ロイター]]からインタビューを申し込まれたが、拒否している<ref name="leon"/>。
 
== 証拠資料 ==