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{{Infobox baseball player
|選手名 = リック・ショート
|英語表記 = Rick Short
|所属球団 =
|役職 =
|背番号 =
|選手写真ファイル名 =
|写真のコメント =
|国籍 = {{USA}}
|出身地 = [[イリノイ州]]
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1972|12|6}}
|没年月日 =
|身長 = 183
|体重 = 92
|利き腕 = 右
|打席 = 右
|守備位置 = [[外野手]]、[[一塁手]]、[[三塁手]]、[[二塁手]]
|プロ入り年度 = 1994年
|ドラフト順位 = MLBドラフト33巡目
|初出場 = NPB / 2003年3月28日<br />MLB / 2005年6月10日
|最終出場 = NPB / 2009年8月23日<br />MLB / 2005年9月23日
|経歴 =
* エルギン・ラーキン高等学校
* 西イリノイ大学
* [[千葉ロッテマリーンズ]] (2003)
* [[ワシントン・ナショナルズ]] (2005)
* [[東北楽天ゴールデンイーグルス]] (2006 - 2009)
|選出国 =
|選出年 =
|得票率 =
|選出方法 =
}}
'''リチャード・ライアン・ショート'''('''Richard Ryan "Rick" Short''' , [[1972年]][[12月6日]] - )は、[[アメリカ合衆国]][[イリノイ州]]出身の元[[プロ野球選手]]([[外野手]]、[[内野手]])。右投右打。
 
== 経歴 ==
=== アメリカ球界時代(第1次) ===
{{by|1994年}}の[[ドラフト会議 (MLB)|MLBドラフト]]で[[ボルチモア・オリオールズ]]から33巡目指名を受け、プロ生活をスタートする。
 
その後、順調に[[マイナーリーグ|マイナー]]の階段を上っていき、特に{{by|2000年}}はオリオールズ傘下3Aで打率.331、{{by|2002年}}は[[ロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイム|アナハイム・エンゼルス]]傘下3Aで.356の好成績を残し、その他の年も高打率をマークしていたものの、[[メジャーリーグベースボール|メジャー]]昇格には届かなかった。
 
=== ロッテ時代 ===
{{by|2003年}}に[[千葉ロッテマリーンズ]]に入団。同年は主に[[三塁手|三塁]]や[[左翼手|左翼]]を守り、127試合に出場し打率.303と高い打率を残したが、12本塁打と長打が少なかったことや併殺も多いこともあってか1年で[[自由契約]]となった。
 
登録上の名前は「ショート」だったが、ポジションの「ショート」と紛らわしかったため、開幕からホーム・ビジターの全試合で「リック・ショート」とアナウンスされ、ファンからの応援等でもそう呼ばれた。[[2003年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|同年のオールスター]]では、あまり守ったことがないのにもかかわらず、その名前から[[遊撃手]]部門で票を獲得した。また、楽天に加入した2006年の開幕前、選手層が薄いというチーム事情から冗談抜きに「ショートにショートを」守らせる構想があったが、このシーズンは実際にショートを守ることはなかった。
 
=== アメリカ球界時代(第2次) ===
{{by|2004年}}は[[カンザスシティ・ロイヤルズ]]傘下のAAA級[[オマハ・ロイヤルズ|オマハ]]でプレーし、シーズン途中から[[ワシントン・ナショナルズ]]傘下のAAA級[[ニューオーリンズ・ゼファーズ|ニューオーリンズ]]でプレー<ref>ニューオーリンズ・ゼファーズがナショナルズと提携を結んでいたのは、2年間(2005-2006)のみ。{{Cite web|url=http://neworleans.zephyrs.milb.com/about/page.jsp?ymd=20070130&content_id=166845&vkey=about_t588&fext=.jsp&sid=t588|title=Zephyrs History|work=New Orleans Zephyrs|language=英語 |accessdate=2009年1月17日 }}</ref>。{{by|2005年}}はAAA級でシーズン後半まで打率4割をキープし(最終的には.383でマイナーリーグのシーズンを終えた)、32歳にしてメジャー初昇格を果たす。「オールドルーキー」として話題になり、シーズン終了後にはAAA級の「オフェンシブ・プレーヤー・オブ・ザ・イヤー」に輝いた<ref>{{Cite web|url=http://web.minorleaguebaseball.com/news/awards_2005.jsp|title=News: 2005 MiLB Awards|work=Minor League Baseball|language=英語 |accessdate=2009年1月3日 }}</ref>。
 
「彼は好投手と対峙した時にこそ好打を発揮し、かつ状況に応じた打撃を習得しているプロフェッショナル・ヒッターだ」と[[:en:Tim Foli|ティム・フォリー]][[監督]]もリックの高度な打撃センスに一目置いている。更に、「彼は物静かな男で多くを語らないが、日々の努力と入念なケア、ゲームに臨む真摯な姿勢、それら行動規範を示すことによってチームを牽引した」と賛辞を送った<ref>{{Cite web|author=Zack Hample|date=11/09/2005|url=http://web.minorleaguebaseball.com/news/article.jsp?ymd=20051109&content_id=33485&vkey=news_milb&fext=.jsp|title=Short but very sweet year in Triple-A|work=Minor League Baseball|language=英語 |accessdate=2009年1月3日 }}</ref>。
 
=== 楽天時代 ===
{{by|2006年}}、[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]に入団。登録名は当初はロッテ時代と同じ「ショート」だったが、公式戦開幕直前に「'''リック'''」に改めた(なお、ファンから応援時は「ショート」とコールされている)。
 
開幕の時の打順は7番だったが、どの打順でもコンスタントに結果を残せること、高い出塁率を記録したことなどから、1、3、5、6番とさまざまな打順で先発出場している。[[ホセ・フェルナンデス (1974年生の内野手)|ホセ・フェルナンデス]]、[[山崎武司]]の両主軸が怪我で先発できなかった6月1日には4番での先発出場もあった。2006年の先発出場104試合中、1番が9試合、3番が21試合、4番が1試合、5番が29試合、6番が25試合、7番が19試合だった。広角打法で活躍し、同年の最終打率は.314。チーム内では1位、パ・リーグでも3位<ref>{{cite web|url=http://bis.npb.or.jp/yearly/pacificleague_2006.html|title=年度別成績 2006年 パシフィック・リーグ|publisher=日本野球機構|accessdate=2015-09-02}}</ref>であった。
 
守備に関しても、チーム内でレギュラーが固定できない中で[[ユーティリティープレイヤー]]として活躍した。状況に応じて以下の通り様々なポジションを任されている。先発出場104試合中、[[一塁手]]36試合、[[二塁手]]15試合、三塁手11試合、左翼手36試合、[[指名打者]]3試合。オールスターの投票では4月は左翼手を守る事が多かったため外野手としてノミネートされていた。{{要出典範囲|本来はあまり守備が得意ではないフェルナンデスを一塁手、リックを三塁手として起用したいところだが、リックの三塁守備はエラーは少ないものの、スローイングに難があり(例えば、2アウト一塁の場面でサードゴロをセオリーのファーストではなく二塁手がカバーに入るよりも前にセカンドに投げてしまうといったプレーがある)、|date=2011年9月}}主に一塁や左翼を守った。
 
{{by|2007年}}にはフェルナンデスと同様、開幕直後に妻の出産で一時帰国した。シーズン当初は三塁手と左翼手の両方で起用されたが、[[草野大輔]]が三塁手に定着すると左翼手がほぼ定位置となった。月間打率はすべて3割を上回り、好不調の波の少ない堅実な打棒を発揮し、一時は打率首位に立つ。後半には[[稲葉篤紀]]との首位打者争いを繰り広げたが、左足内転筋を痛め、終盤にチームを離脱した。最終的には打率.330で、稲葉の打率.334に次いで惜しくも2位に終わった<ref>{{cite web|url=http://bis.npb.or.jp/yearly/pacificleague_2007.html|title=年度別成績 2007年 パシフィック・リーグ|publisher=日本野球機構|accessdate=2015-09-02}}</ref>。一方、[[本塁打]]はわずか4本、[[長打率]]は.433でリーグ11位と、外国人選手としては低かったが、リーグ2位の31本の[[二塁打]]を放った。リック自身も「自分に本塁打を期待してもらうのは難しいが、確実にヒットを打ちたい」と話している。
 
{{by|2008年}}、オフにエクササイズなどで体を大幅に絞り、また食生活も改善。開幕から高打率を維持し、本塁打数も2003年のロッテ時代以来となる2桁に達した。[[中島裕之]]([[埼玉西武ライオンズ|西武]])と最後まで首位打者争いを展開。最終的に打率.332、12本塁打、71打点でパ・リーグでは{{by|1989年}}の[[ブーマー・ウェルズ]]([[オリックス・バファローズ|オリックス]]=当時)以来となる外国人[[首位打者 (日本プロ野球)|首位打者]]となった。また、[[外野手]]部門で[[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]にも選ばれた。
 
{{by|2009年}}はシーズン序盤から打撃不振に陥り、守備でもミスが目立った上に肩を痛めてしまい、6月に登録抹消。7月に再昇格すると打撃には改善の兆しが見られたものの、8月に再び肩を痛め「右肩の関節唇損傷と腱板(けんばん)断裂」と診断され帰国。その後は復帰を果たすことができなかった。その影響もあり、出場61試合、打率.255、3本塁打、13打点といずれも来日以来最低の数字に終わる。同年シーズン終了を以って[[自由契約]]となり退団。
 
=== 引退後 ===
{{by|2010年}}より、[[アリゾナ・ダイヤモンドバックス]]のスカウトを務める<ref>{{Cite web|date=2010-10-12|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/10/12/01.html|title=Dバックス、ダルビッシュ獲得へ65億円用意|publisher=スポーツニッポン|accessdate=2011-09-25}}{{リンク切れ|date=2017年10月}}</ref>。
 
== 選手としての特徴・人物 ==
性格は極めて真面目で温厚。
 
豊かな体格に似あわずミートに徹した打撃を見せ、確実性が高く変化球への対応も巧い<ref>{{Cite book|和書|title=プロ野球選手名鑑2003|date=|year=2003|publisher=[[ベースボール・マガジン社]]|isbn=4-583-61214-1|page=278}}</ref>。また、左投手に強い。
 
打席ではバットを短く肩に担ぐようにして持ち、機械的に上半身を小刻みに動かす独特の構えをする。更に両足を大きく広げてスイングの際はほとんどステップせずに打つ。仕掛けが非常に早く、初球からでも積極的に打ちにいくタイプ故に[[三振]]が非常に少ないが、反面[[四球]]の数も少ない傾向にある。また、[[本塁打]]も少ないが、鋭いライナー性の打球を外野の深い位置まで飛ばすため二塁打の成績は上位を記録する。
 
内野・外野ともにこなせるユーティリティープレイヤーで、マイナーリーグ時代には[[捕手]]、[[中堅手]]を守ったこともある。ファミリーネームと同じ読みなのでしばしば話のネタにされるショート([[遊撃手]])については、プロとなってからは{{by|1996年}}の1A時代に7試合守ったのみである。どちらかといえば鈍足で肩も強くない選手であるため、一塁手、左翼手としての出場が主である。
 
2005年6月9日、メジャー初昇格したリックは翌10日、[[代打]]として打席に立ち、見事にタイムリーヒットを放ったが、[[ワシントン・ナショナルズ|ナショナルズ]]は同日、[[大家友和]]を監督への侮辱行為で放出し、内野手の[[ジュニア・スパイビー]]を獲得。野手の枠が足りなくなったナショナルズは翌日、リックを二日でマイナーに降格させたということがある。
 
2006年10月1日、シーズン最終戦([[宮城球場|フルキャストスタジアム宮城]])9回裏2アウトで代打として登場。あと1人塁に出れば、今季での引退が決まっていた[[飯田哲也 (野球)|飯田哲也]]に回るという場面だった。リックは打席へ向かう前に「'''イイダサン、ガンバルカラ(飯田さん、頑張るから)'''」と声を掛けた。その時飯田は彼の一言に涙を堪える事ができず、ネクストバッターズサークルでずっと泣いていた。結果リックはセカンドゴロに終わるが、飯田は「もしこの時自分に打席が回ってきても、おそらく涙で打てなかった」と、後の引退会見の場で発言している。
 
2007年3月18日の[[西武ドーム|グッドウィルドーム]]での西武対楽天戦の[[ケロロ軍曹]]シリーズのオープン戦では、始球式にバッターとして登場した。
 
2007年のシーズン中に実父が交通事故に遭い、意識不明の大怪我を負った。リックはその日、[[千葉マリンスタジアム]]で[[千葉ロッテマリーンズ]]との試合があったが、監督に許可を貰ってその日に仙台の自宅に戻り、その後実父の容態が急変し、一時はシーズン中に帰国したこともあった。
 
== 詳細情報 ==
=== 年度別打撃成績 ===
{| {{年度別打撃成績}}
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|2003}}
|style="text-align: center;"|[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]]
|127||519||472||61||143||32||0||12||211||58||3||3||0||2||39||0||6||60||18||.303||.362||.447||.809
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|2005}}
|style="text-align: center;"|[[ワシントン・ナショナルズ|WSH]]
|11||17||15||4||6||2||0||2||14||4||0||0||0||0||1||0||1||1||0||.400||.471||.933||1.404
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|2006}}
|rowspan="4" style="text-align: center;"|[[東北楽天ゴールデンイーグルス|楽天]]
|109||431||401||33||126||27||0||4||165||34||5||5||2||1||22||2||5||51||16||.314||.357||.411||.768
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|2007}}
|115||458||418||31||138||31||0||4||181||53||2||2||3||2||29||2||6||44||22||.330||.380||.433||.813
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|2008}}
|134||525||491||62||163||31||2||12||234||71||4||1||1||5||25||1||3||51||11||'''.332'''||.365||.477||.841
|-
|style="text-align: center;"|{{by2|2009}}
|61||201||184||13||47||7||0||3||63||13||4||1||0||1||13||2||3||24||4||.255||.313||.342||.656
|-
!colspan="2"|[[日本プロ野球|NPB]]:5年
|546||2134||1966||200||617||128||2||35||854||229||18||12||6||11||128||7||23||230||71||.314||.361||.434||.795
|-
!colspan="2"|[[メジャーリーグベースボール|MLB]]:1年
|11||17||15||4||6||2||0||2||14||4||0||0||0||0||1||0||1||1||0||.400||.471||.933||1.404
|}
* 各年度の'''太字'''はリーグ最高
 
=== タイトル ===
; NPB
* [[首位打者 (日本プロ野球)|首位打者]]:1回 (2008年)
 
=== 表彰 ===
; NPB
* [[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]:1回 (外野手部門:2008年)
 
=== 記録 ===
; NPB初記録
* 初出場・初先発出場:2003年3月28日、対[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]1回戦([[福岡ドーム]])、7番・[[三塁手]]で先発出場
* 初打席:同上、2回表に[[斉藤和巳]]から中飛
* 初安打・初本塁打・初打点:同上、9回表に[[岡本克道]]から左越2ラン
* 初盗塁:2003年5月2日、対福岡ダイエーホークス7回戦(福岡ドーム)、4回表に二盗(投手:[[寺原隼人]]、捕手:[[城島健司]])
; NPBその他の記録
* [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]出場:1回 (2008年)
 
=== 背番号 ===
* '''44''' (2003年)
* '''35''' (2005年)
* '''55''' (2006年 - 2009年)
 
=== 登場曲 ===
* 「Shake」Ying Yang Twins
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{reflist}}
 
== 関連項目 ==
* [[イリノイ州出身の人物一覧]]
* [[千葉ロッテマリーンズの選手一覧]]
* [[東北楽天ゴールデンイーグルスの選手一覧]]
 
== 外部リンク ==
{{NPB|41845117|リック}}
{{MLBstats |mlb= 430907 |espn= 6310 |br= s/shortri01 |fangraphs= 2263 |cube= Rick-Short |brm=short-001ric}}
 
{{Navboxes|title=獲得タイトル・記録
|list1=
</span>
{{パシフィック・リーグ首位打者}}
{{パシフィック・リーグ ベストナイン (外野手)}}
}}
 
{{DEFAULTSORT:しよおと りつく}}
[[Category:アメリカ合衆国の野球選手]]
[[Category:ワシントン・ナショナルズの選手]]
[[Category:千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手]]
[[Category:東北楽天ゴールデンイーグルスの選手|りつく しようと]]
[[Category:NPBオールスターゲーム選出選手|りつく しようと]]
[[Category:首位打者 (NPB)]]
[[Category:アリゾナ・ダイヤモンドバックス関連人物]]
[[Category:イリノイ州ケーン郡出身の人物]]
[[Category:1972年生]]
[[Category:存命人物]]