「南部宗経」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
 
1行目:
{{基礎情報 武士
'''南部 宗経'''(なんぶ むねつね、[[寛元]]4年([[1246年]]) - [[弘安]]6年[[5月17日 (旧暦)|5月17日]]([[1283年]][[6月13日]]))は、[[鎌倉時代]]中期の[[武将]]。[[南部氏]]宗家第5世当主(『南部系譜』)。第3代当主[[南部時実]]の三男、幼名彦三郎。(『[[南部史要]]』)。
| 氏名 = 南部宗経
| 画像 =
| 画像サイズ =
| 画像説明 =
| 時代 = [[鎌倉時代]]中期
| 生誕 = [[寛元]]4年([[1246年]])
| 死没 = [[弘安]]6年[[5月17日 (旧暦)|5月17日]]([[1283年]][[6月13日]])
| 改名 = 彦三郎(幼名)、宗経
| 別名 =
| 諡号 =
| 神号 =
| 戒名 = 西来院殿直山示公
| 霊名 =
| 墓所 =
| 官位 =
| 幕府 = [[鎌倉幕府]]
| 主君 =
| 藩 =
| 氏族 = [[南部氏]]
| 父母 = [[南部時実]]
| 兄弟 = [[南部政光|政光]]、[[南部政行 (鎌倉時代)|政行]]、'''宗経'''、[[南部義元|義元]]、[[南部宗実|宗実]]、[[南部実政|実政]]
| 妻 =
| 子 =
| 特記事項 =
}}
 
'''南部 宗経'''(なんぶ むねつね)は、[[鎌倉時代]]中期の[[武士]]。[[南部氏]]5代当主(『南部系譜』)。
 
== 略歴 ==
3代当主・[[南部時実]]の三男として誕生。幼名は彦三郎(『[[南部史要]]』)。
第4代当主[[南部政光]]に子がいないため跡を弟の[[南部義元]]の嫡子、[[南部義行]]に決めたが、義行は政光の意向に反して[[甲斐国|甲斐]]に戻る。このため政光の弟の宗経が[[家督]]を継ぐ。この時から家運が衰えて京都への[[大番役|大番]]や、鎌倉への参勤も絶つという。[[弘安]]6年(1283年)5月17日、没する。享年38。法号は西来院殿直山示公。
 
4代当主[[南部政光]]に子がいないため跡を弟[[南部義元|義元]]の嫡子[[南部義行|義行]]に決めたが、義行は政光の意向に反して[[甲斐国|甲斐]]に戻る。このため政光の弟の宗経が[[家督]]を継ぐ。この時から家運が衰えて京都への[[大番役|大番]]や、鎌倉への参勤も絶つという。[[弘安]]6年(1283年)5月17日、没する。享年38。法号は西来院殿直山示公
 
[[弘安]]6年([[1283年]])5月17日、没する。享年38。法号は西来院殿直山示公。
 
== 参考文献 ==
13 ⟶ 44行目:
}}
 
== 外部リンク ==
* [{{NDLDC|763427/1}} 国立国会図書館 近代デジタルライブラリー 南部史要]
 
{{南部氏当主|5代}}
 
{{デフォルトソートDEFAULTSORT:なんふ むねつね}}
[[Category:鎌倉時代の武士]]
[[Category:三戸南部氏|むねつね]]
[[Category:岩手県鎌倉時代歴史武士]]
[[Category:1246年生]]
[[Category:1283年没]]