「メディア (ギリシア悲劇)」の版間の差分

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『メディア』は、[[家父長制]]社会において女性であることの苦難を同情的に掘り下げた作品であるため、フェミニスト的な傾向を持つ非常に古いテクストであると広く考えられている<ref>See (e.g.) Rabinowitz 1993, 125–54; McDonald 1997, 307; Mastronarde 2002, 26–8; Griffiths 2006, 74–5; Mitchell-Boyask 2008, xx.</ref>。しかしながら一方で、[[ミソジニー]]的な態度の表れであるという読みも存在する<ref>[http://www.km-awards.umb.edu/essays2009/documents/Messing.pdf KM-awards.umb.edu], Williamson, A. (1990). A woman's place in Euripides' ''Medea.'' In Anton Powell (Ed.) ''Euripides, Women, and Sexuality.'' pp.16–31.</ref>。
 
 
==日本語訳==
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==翻案==
*『王女メディア』 [[高橋睦郎]][[修辞]]、[[小沢書店]]、1984年<ref>1978年2月に日生劇場に於いて上演された、蜷川幸雄演出による舞台『王女メディア』の上演台本。この劇は後にイタリアやギリシアでも上演された。</ref>
*『[[メデア]]』 [[小林標]]訳、〈西洋古典叢書 [[ルキウス・アンナエウス・セネカ|セネカ]]悲劇集1〉[[京都大学学術出版会]]、1997年
 
==脚注==