「ルネ・ド・ジラルダン」の版間の差分

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ジラルダンは長い間ルソーの作品を賞賛していた。彼はルソーの原則に従い、''[[エミール (ルソー)|L'エミール]]'' で育ち、ルソーのルネサスの曲を[[スピネット]]で演奏する息子とともにパリのルソーを訪問。
 
公園の一部は手を付けず''Le Desert''と呼ばれ、 <ref group="nb">当時のフランス百科事典の「砂漠の夢と郷愁を育むのにふさわしい場所」 </ref> Girardinは、ルソーの小説にジュリーの「エリゼ」をモデルにした、''ラヌーヴェルエロイーズにおける''ルソーのために家を建てるために始めた。ルソーは1778年5月に庭園を訪れて魅了され、岩に囲まれた茅葺き屋根の小さなコテージに泊まった。これはルソーの小説からジラルダンによって構成された設定である。ルソーは1778年7月に亡くなるまでコテージに宿泊した。おそらくHubert ロバートによって設計され、Jacques-Philippe Le Sueurによって彫刻されたルソーのための墓が制作され、その墓や庭は、ルソーの賛美者のための巡礼の目的地となった。賛美者は[[ヨーゼフ2世|オーストリアのヨーゼフII]] 、王[[グスタフ3世 (スウェーデン王)|スウェーデンのグスタフIII]] 、のちの皇帝[[パーヴェル1世|ロシアのポールI]] 、 [[ベンジャミン・フランクリン]] 、 [[トーマス・ジェファーソン]] 、 [[ジョルジュ・ダントン|ダントン]] 、 [[マクシミリアン・ロベスピエール|ロベスピエール]] 、 [[フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアン|シャトーブリアン]] 、王妃[[マリー・アントワネット]] [[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオンボナパルト]] など。 <ref>{{Harvnb|Allain|Christiany|2006|p=332}}</ref> 1794年10月11日、彼の遺体は除され、パリのヴォルテール遺跡近くパンテオンで再収容される。
 
亡くなったとき彼は『 ''[[告白 (ルソー)|Les Confessions]]』''と『''LesRêveriesdu promeneur solitaire''』を含む最重要作品の原稿をエルムノンヴィルに残した。 ジラルダンとルソーと他の2人の友人は1780年から1782年の間にジュネーブで出版された彼の作品の完全版を用意した。この新版は[[フランス革命|フランス革命に]]至るまでの数年間にルソーの考えをフランス中に広めることに大いに貢献した。
 
== フランス革命 ==