「覚猷」の版間の差分

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== 人物像・戯画 ==
[[ファイル:Chouju sumou.jpg|250px|right|thumb|『鳥獣人物戯画』より]]
覚猷の画は、[[ユーモア]]と風刺精神に富んでおり、戯画と呼ばれる。嗚呼絵(おこえ)と呼ばれることもある<ref name=miyajima>[[#宮島|宮島新一「嗚呼絵」『日本歴史大事典』第1巻、小学館(2000)p.516]]</ref>。[[遺言]]の逸話が示すように、覚猷自身、笑いのセンスに長けた人物のようであり、『[[宇治拾遺物語]]』にも覚猷のいたずら好きで無邪気な人柄が描かれている。『[[古今著聞集]]』では、[[弟子]]である侍法師の絵を道理に合わないと非難するが、侍法師は「おそくづの絵」([[春画]])は誇張しなければ面白くないという例を出して反論し、覚猷は逆にやり込められてしまったという逸話が載っている。また、覚猷は仏教界の要職を歴任しながら、当時の仏教界と政治のあり方に批判的な眼を持っていたともされている。遺産分与に関する遺言の[[逸話]]に関して、[[まつやまふみお|松山文雄]]は「これは貴族や僧侶の権謀策やこびへつらいの生活にたいする風刺ともとれ、強いものがとるという、権力の横行にたいするあてつけともとれて、おもしろい逸話です」<ref name=matsuyama>[[#松山|松山『漫画学校』(1950)p.85]]</ref>と記しており、その風刺精神は当時の自身を取り巻く世情と密接に関係していたことが予想される。
 
国宝『[[鳥獣人物戯画]]』(鳥獣戯画)、『[[放屁合戦]]』、『[[陽物くらべ]]』などが伝鳥羽僧正作とされている。いずれも一見単純な明るい笑いの画のようでありながら、深い批判精神を含む作品群であり、鳥羽僧正の作に擬せられている。実のところ、美術史学上、覚猷をこれらの絵画の作者とする確証はないとされているが、これらの絵画は覚猷の画風をよく表しているともいわれている。
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