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== 歴史 ==
『[[続日本紀]]』によれば、[[和銅]]6年([[713年]])12月2日に[[丹取郡]]が新設され<ref>『[[続日本紀]]』和銅6年12月辛(2日)条。</ref>、[[神亀]]5年([[728年]])には丹取軍団が[[玉造団|玉作軍団]]と改称した<ref>『続日本紀』神亀5年4月丁丑(11日)条。</ref>とある。これらの記事から、この頃に丹取郡が分割されて玉造郡などが成立したと考えられている。当時の玉造郡域は、天平五柵の一つ[[玉造柵]]([[名生館官衙遺跡]]がその遺構と考えられている)があった重要な軍事拠点で、陸奥国北辺では唯一[[軍団 (古代日本)|軍団]]が配置されていた。
があった重要な軍事拠点で、陸奥国北辺では唯一[[軍団 (古代日本)|軍団]]が配置されていた。
 
10世紀前半に成立した『[[和名類聚抄]]』には、府見郷・玉造郷・信太郷・余戸郷の4郷が玉造郡に属したとある。