「入鉄炮出女」の版間の差分
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鉄砲を関所の内側(江戸方面)に入れる際には、鉄炮手形を関所に提出させ、次に関所に備え付けられた「判鑑」にて、手形に記された老中の印鑑が真正であるかを確認し、更に鉄砲の所有者・挺数・玉目・出発地と目的地が手形の記載通りであるかを確かめた後に初めて通過を許した。また、鉄砲などを隠す空間を作りやすい[[長持]]の検査も厳重に行われた。江戸時代には[[東海道]]の[[新居関]]がその厳重な監視で知られていた。なお、意外にも江戸からの鉄砲の持ち出しについては簡単な検査ののちに通過を許したとされている。
[[栗橋宿|房川渡中田(栗橋)関所]]([[奥州街道]]・[[日光街道]])における武器類の搬送は、[[天保]]8年([[1837年]])の「文化三寅年同四年
== 出女の取締 ==
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