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横綱5場所目の同年5月場所、横綱陣は初日から北勝海と大乃国が全休、さらに千代の富士も3日目の相撲を最後に引退(平成時代初の4横綱は5場所で解消)したため、4日目から旭富士だけの[[横綱#一人横綱|一人横綱]]となる。5日目[[安芸乃島勝巳|安芸ノ島]]に敗れたものの、その後は連勝を続け14日目で13勝1敗、14連勝で単独首位の大関[[小錦八十吉 (6代)|小錦]]を追う展開になった。千秋楽結びの一番、旭富士は[[割 (相撲)|本割り]]で小錦の両廻しを掴み[[がぶり]]ながら[[寄り切り]]、二人は14勝1敗同士の優勝決定戦にもつれ込む。そして決定戦でも旭富士は[[立合い]]左への[[変化 (相撲)|変化]]から、最後は[[肩透かし]]<ref>決まり手の発表は「肩透かし」だったが、実際は[[下手出し投げ]]との合わせ技で決まった。</ref> で巨漢の小錦を見事に横転。本割り・決定戦の連勝を果たし、大逆転で旭富士が4度目の幕内優勝を飾った。旭富士にとって横綱昇進後では初めての優勝だったが、これが現役最後の優勝ともなった。
翌7月場所は優勝候補筆頭と言われたが、初日で新小結・[[貴乃花光司|貴花田]]に敗れ、その後も膵臓炎の再発で大きく崩れてしまい8勝7敗<ref>他の横綱陣も北勝海は9勝6敗、大乃国は9日目に引退という成績不振だった。</ref>。なお、この場所千秋楽の北勝海戦が、日本出身力士の横綱同士による最後の対戦となっている。<ref>後に横綱に昇進した[[貴乃花光司]]や[[花田虎上|若乃花勝]]は日本出身力士だったが同部屋だったため対戦は実現しなかった。</ref>又これが旭富士の現役最後の千秋楽まで皆勤場所となった。9月場所は2日目の[[花田勝|若花田]]に、右手一本の[[上手投げ]]で吹っ飛ばされる等散々の内容で6日目より途中休場、平幕時代の1987年1月場所から続いた連続勝ち越し記録も、28場所でストップした<ref>当時[[北の湖敏満|北の湖]]の50場所に次いで、[[若乃花幹士 (2代)|2代若乃花]]と並ぶ歴代2位タイだった。現在は武蔵丸(55場所)・[[白鵬翔|白鵬]](51場所)・北の湖(50場所)に次ぎ、2代若乃花と並び歴代4位タイ。</ref>。翌11月場所も慢性膵炎と[[脊椎]]分離症のため全休した。
そして復帰した[[1992年]](平成4年)1月場所、病が回復しないまま<ref name="ref156" /> で進退を賭けて臨んだものの、初日・[[曙太郎|曙]]、2日目・安芸ノ島に良い所無く連敗。最後の相撲となった3日目・若花田にも[[下手投げ]]で敗れて3連敗を喫してしまい、同場所限りで現役引退を表明。横綱が初日から3連敗したのは[[2018年]][[11月13日]]に[[稀勢の里]]が達成するまで、26年10か月にわたりワースト記録であった。引退会見では「気力の限界で、もう力が出ないので引退させていただきます」と力が抜けるように言い放つ。在位数は僅か9場所の[[横綱#短命横綱|短命横綱]]に終わった<ref name="100retsu"/>。引退の理由は膵炎の悪化であり、後に旭富士は、太田雅英の「もう少しやれたのではないか、という気持ちにはならなかったですか」という問いに対して「二、三場所は休まないといけないという状態だったから。横綱が長く休んでいたら、絵にならないでしょう」と答えている<ref>『大相撲中継』2017年10月13日号 p.82.</ref>。
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