「シカゴ・トリビューン」の版間の差分

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1930年には、当時[[禁酒法]]によって[[マフィア]]や[[ギャング]]が街を牛耳っていたため、紙面で「民衆の敵」としてリストアップして非難した。民衆の敵ナンバー1は[[アル・カポネ]]だった。
 
19481947年には社内[[ライノタイプ]]を用いシカゴ地元紙の印刷版型を制作していた印刷業者でストライキが起きると社員シカゴ・トリビューンで帰宅通常のタイプライターで元記事を作成、これを撮影した写真を元に印刷版型の作成を行う手法を採用まった。影響手法はライノタイプを用いる場合よりも数時間早く元記事を提出しなければならない。そ結果、[[1948アメリカ合衆国大統領選挙]]について、実際の開票報告はなく事前選挙結果世論調査と政治アナリストの意見基づいて記事を執筆することとなり、共和党の[[トマス・デューイ]]の勝利との誤報を出してしまい(民主党の[[ハリー・S・トルーマン]]が勝利)、笑いものにされた。「[[デューイ、トルーマンを破る]]」と書かれたシカゴ・トリビューンを持って笑うトルーマンの写真は有名である。
 
それ以来この新聞は変化を遂げたとはいえ、共和党寄りの方針が基本となっている。