「弦楽四重奏曲第1番 (ブラームス)」の版間の差分

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{{出典の明記|date=2018年6月20日 (水) 07:12 (UTC)}}
{{Portal クラシック音楽}}
'''弦楽四重奏曲第1番ハ短調 作品51-1'''は、[[ヨハネス・ブラームス]]の発表した最初の[[弦楽四重奏曲]]である。[[弦楽四重奏曲第2番 (ブラームス)|第2番イ短調 作品51-2]]と同時に、[[1873年]]に発表された。これらの2曲は著名な外科医でありアマチュアの音楽家であった親友[[テオドール・ビルロート]]に捧げられている。 しかし音楽上の助言はブラームスの友人[[ヨーゼフ・ヨアヒム]]から多くを受けている。
 
[[弦楽四重奏曲第2番 (ブラームス)|第2番イ短調 作品51-2]]と同時に[[1873年]]に発表された。これらの2曲は著名な外科医でありアマチュアの音楽家であった親友[[テオドール・ビルロート]]に捧げられている。 しかし音楽上の助言はブラームスの友人[[ヨーゼフ・ヨアヒム]]から多くを受けている。
 
== ブラームスの弦楽四重奏曲 ==
ブラームスは自己批判が強く完璧主義で、自分の曲を発表するにあたり大変慎重だったため、[[交響曲第1番 (ブラームス)|交響曲第1番]]の作曲に20年以上の歳月をかけていることは有名である。弦楽四重奏においても同様に慎重を重ね、同時に発表された最初の2曲には最低8年間の歳月を要しているうえ、その前にも20曲を越える習作が書いては破棄されている。それも最初の2曲を発表した2年後に[[弦楽四重奏曲第3番 (ブラームス)|第3番]]を発表したあと、弦楽四重奏曲を書いていないため、[[室内楽曲]]を多く残したブラームスにしては、弦楽四重奏曲はわずか3曲しか残されていない。ブラームスは、先人[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]の残した16曲の弦楽四重奏曲を敬いつつも、その偉大さから受ける重圧には悩まされなければならなかったのである
 
ベートーヴェンの重圧を感じずに済んだ[[ピアノ]]付きの室内楽曲や、若い頃から筆が進んだ[[弦楽六重奏曲]]・[[弦楽五重奏曲]]各2曲に比べ、弦楽四重奏曲の3曲は地味な感は否めない。それでも残された3曲は、室内楽の大家らしくいずれも佳作ぞろいであり、[[ロマン派音楽|ロマン派]]の弦楽四重奏曲として重要な位置を占めている。
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{{ブラームスの室内楽曲}}
 
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[[Category:弦楽四重奏曲|ふらあむす01]]