「朝比奈宗源」の版間の差分

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[[静岡県]][[清水市]](現在の[[静岡市]][[清水区]]<ref>[http://www.shunjusha.co.jp/writer/21063/ 春秋社ホームページ(朝比奈宗源)]</ref>)出身。[[鎌倉]]・[[円覚寺]]住職。[[臨済宗円覚寺派]]管長。[[水戸黄門 (パナソニック ドラマシアター)|水戸黄門]]、[[大岡越前 (テレビドラマ)|大岡越前]]など、[[時代劇]]の題字を手がけたことでも知られている。
 
32歳の時に[[日本大学]]宗教[[大学専門部 (旧制)|専門部]](現存しない)卒<ref>[http://ryubin.com/ryutan/persons/asahina_sougen/sougen.html 朝比奈宗源]</ref>。京都[[妙心寺]]、鎌倉円覚寺で修行。[[1942年]]円覚寺[[貫主]]。[[1945年]]円覚寺派管長。[[1963年]]に[[賀川豊彦]]、[[尾崎行雄]]らと[[世界連邦運動]]推進のため[[世界連邦日本仏教徒協議会]](世連仏)を結成、会長となった。
 
教育では、[[1934年]]~[[1942年]]まで横濱専門学校(現[[神奈川大学]])で[[倫理学]]講師を担当、高歯の下駄で鎌倉から通い横濱専門学校の多くの学生から慕われる。1936年2月26日朝([[二・二六事件]])、一時間目の授業に教壇に立つや「今朝、軍の暴徒が首相始め高官達を襲って暗殺したらしい。こんなことを許していては日本は滅びてしまう」と横濱専門学校の学生に言ったと伝わる。