「春風亭梅枝」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
1行目:
'''春風亭 梅枝'''(しゅんぷうてい ばいし)は、[[落語家]]の[[名跡]]。8代目が華柳を継いでから空き名跡となっている。[[上方落語]]界では3代目まで存在した[[桂梅枝]]がいた。
 
* 初代春風亭梅枝 - ([[1819年]](逆算) - [[1923年]][[1月1日]])本名、矢野新三郎。[[春風亭柳枝 (初代)|初代春風亭柳枝]]門下。[[嘉永]]・[[文政]]の頃に師匠柳枝の番頭役となる。[[幕末]]から[[明治]]にかけて、[[柳派]]において「五厘(周旋人)の梅枝」として鳴らした。
** 初代の実子の矢野新三郎が、「五厘」になって梅枝の名を継いだ。噺家業は行っていない。
* 2代目春風亭梅枝 - 後の3代目[[三升家勝次郎]]。本名、三輪政吉。
* 3代目春風亭梅枝 - 後の[[風雷舎金賀]]。本名、二宮長三郎。
* 4代目春風亭梅枝 - 後の3代目[[滝川鯉かん]]。本名、矢島金太郎。
* 5代目春風亭梅枝 - 後の[[春風亭柳窓]]。本名、佐々木吉郎。
* 6代目春風亭梅枝 - ([[生没年不詳]])本名、天野三郎。[[1920年]]12月の[[睦会]]の7人同時に若手真打昇進した中に[[春風亭小柳三]]から梅枝に改名する。[[関東大震災]]の頃まで消息が確認されている。
* 7代目春風亭梅枝 - (生没年不詳)本名未詳。[[春風亭柳枝 (6代目)|6代目春風亭柳枝]]門下。[[1929年]]8月の[[睦会]]の記録に鏡枝が梅枝に改名して真打昇進した記録がある。[[1931年]]頃までは消息が確認出来るが以後は不明。
* 8代目春風亭梅枝 - 後の[[春風亭華柳|2代目[[春風亭華柳]]。本名、中村 。2010年現在現役。1991年9月芸術協会脱会、以後完全フリー。2001年フリーの立場のまま華柳を襲名。華柳(フリー)←8代春風亭梅枝(6代柳橋門)←橋之助(6代柳橋門)←小柳太(7代小柳枝門)←桂木久造(3代目三木助門)
 
== 参考文献 ==