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イスラエル国防軍退役後は外交官となり、1968年から[[駐アメリカ]][[特命全権大使]]を務めている。1973年にはイスラエル労働党より出馬し当選、イスラエル国会議員・労働大臣となる。1974年に労働党党首となり[[ゴルダ・メイア]]の跡を継いでイスラエルの首相となった。1977年に首相を辞任。
ラビンは1984年から1990年まで国防相を務め、その間に体験した[[パレスチナ人]]の抵抗([[第1次インティファーダ]])に衝撃を受ける。1992年に再度、首相に就任する。アラブ側との和平を進め、1993年に[[オスロ合意]]に調印し1994年には[[
1995年11月4日、[[テルアビブ]]で催された平和集会に出席したが、和平反対派の[[ユダヤ人]]青年[[イガール・アミル]]から至近距離より銃撃され、死亡した。
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