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「太穆竇皇后」の版間の差分
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2019年10月13日 (日) 06:06時点における版
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48行目:
李淵はのちに隋の政治が乱れるのを見て、竇夫人の言葉を思い出し、自らの安泰を図るため、しばしば鷹や犬の変わった種類を献上した。煬帝は喜んで、李淵を将軍に抜擢した。李淵は泣いて「早くお前たちの母の言うことを聞いていれば、もっと長くこの官に居れたものを」と諸子に言った。
李淵が帝位に就くと、竇夫人の葬園を寿安陵とし、[[
謚
諡
]]を'''穆'''とし、新たに皇后を立てることはなかった。のちに[[献陵]]に改葬され、太穆皇后と追号された。[[上元 (唐高宗)|上元]]年間、'''太穆神皇后'''と増諡された。
== 子女 ==