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{{出典の明記|date=2019-12-02}}
[[ファイル:王瓊事蹟圖.jpg|220px|サムネイル|明代の進士服]]
'''進士'''(しんし、[[満州語]]:dosikasi)とは、[[隋]]から[[北宋]]中期にかけては[[科挙]]の六科の一つ。[[王安石]]の改革で進士科以外が廃止された後は、科挙の登第者(合格者)を指し、以降の[[南宋]]から[[清]]まで続いた制度である。
 
== 進士科 ==
隋代の初めに科挙が開始されたが、[[605年]]に進士科が設けられた。隋・[[唐]]の時代は進士科と[[明経科]]で試験が別になっていた。明経科では[[儒学]]の知識と時務策のみであったが、進士科ではこれに詩賦が加わった。
 
進士科は試験が最も難しく、1回に採られる人数は2~30人と明経科の十分の一であったため、最も重んじられ、地位は他の科よりも高かった。「明経科は30歳でも年寄り、進士科は50歳でも若い方」という言葉はいかに進士科が難関であったかを示している。
 
== 王安石の改革以後 ==
[[宋 (王朝)|宋]]の科挙制度も開始時は進士・明経その他の科が設けられていたが、王安石の改革で明経などの諸科が廃止されて、進士科一科となった。[[元 (王朝)|元]]で科挙が開始された時も進士科のみで、[[明]]・[[清]]もそれを受け継いだ。そのため科挙の登第者のことを進士と称するようになった。