「日本航空123便墜落事故/log20200516」の版間の差分

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[[1997年]][[7月]]には羽田 - [[高知空港|高知]]便が開設され、120番台便名が使用されることとなったが、羽田発が121便と125便、高知発が122便と126便で、123便は使われなかった。
 
[[2003年]]4月には統合準備に伴い、羽田 - 高知便は旧日本エアシステムによる運航に統一されたため、再度120番台便名は使われなくなった。翌年の便名4桁化まで使われることはなかったため、この時点で日本航空の120番台便名、JAL123便の名は消滅した。
 
[[2004年]][[4月]]の日本航空と日本エアシステムの統合後は、便名4桁化に伴い1525便となって同ダイヤで運航が継続されていたが、[[2005年]][[11月]]に運航ダイヤが調整され、1525便は18:30発に変更された。