「生態学」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
m →‎生態学の歴史: lk, wikt, sty
43行目:
生態学は、反復のある機械的なモデルを、生物学的・有機的な、そしてそれゆえに進化的なモデルへと受け渡した。
 
同じ時代にダーウィンの競合者であった[[アルフレッド・ラッセル・ウォレス]]は、初めて動物種の"地理"について提案をした。当時の何人かの科学者は、種は互いに独立したものではないということを認識し、生物を植物、動物、後には[[生物群集]]([[:en:wikt:biocenose|biocenose]])に分類した。この[[生物群集]](biocenose)という語は、[[1877年]]に[[カール・アウグスト・メビウス]]によって作られたものである。
 
=== 生物圏 - ジュースとベルナドスキー ===
57行目:
19世紀を越え、[[生物地理学]]の基礎となるべく、[[植物地理学]]と[[動物地理学]]が結びついた。種の生息地・生育地を扱う生物地理学は、しばしば生態学と混同される。生物地理学は、ある種が特定の生息地・生育地になぜ存在するか、その理由を説明する試みである。
 
[[1935年]]、イギリスの生態学者[[アーサー・タンズリー]]は、[[生物群集]][[ビオトープ|生息空間(biotope)]]([[:en:wikt:biotope|biotope]])との間に成り立つ相互作用の系を'''[[生態系]]'''([[:en:wikt:ecosystem|ecosystem]])と名付けた(実際は[[アーサー・クラファム]](Arthur Roy Clapham)という説もある)。こうして生態学は、"生態系の[[科学]]"になったのである。
 
=== ラブロックのガイア仮説 ===
[[第二次世界大戦]]後、地球上での[[人間]]の役割と立場に関する人間生態学の一分野では、[[核エネルギー]]や[[工業化]]、[[人口]]の社会的意義、工業国による[[天然資源]]の濫用、[[第三世界]]の国々で起こっている[[指数関数]]的な人口増加などの新しい課題に取り組んでいる。
 
[[ジェイムズ・ラブロック]]が彼の著作『''The Earth is Alive''』の中で提唱した「[[ガイア]]」([[w:Gaïaen:wikt:Γαῖα|GaïaΓαῖα]])という世界観は、地球をひとつの巨大な生物に喩えている。議論になるところではあるが、[[ガイア仮説]]は一般人の生態学への興味を増加させた。"母なる大地"であるガイアが「人間と人間の活動のせいで病気になりつつある」ととらえる者もいた。科学的視点では、この仮説は生物圏と多様性を世界規模の観点からとらえる新しい生態学とつじつまがあっている。
 
=== 人類生態学 ===