「簡体字」の版間の差分
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[[清]]末の[[1909年]]、[[陸費逵]]が『教育雑誌』創刊号に「普通教育当採用俗体字(普通教育に俗字を採用すべきだ)」という論文を発表したことが簡化運動の始まりとされる。[[五四運動]]時代の[[1920年]]、[[銭玄同]]は『[[新青年 (中国)|新青年]]』に「減省漢字筆画的提議(漢字の筆画を減少させる提案)」を発表し、[[1922年]]には陸費逵らと連名で国語統一籌備会に常用の漢字すべての筆画を減少させる提案をしている。[[1934年]]にも国語統一籌備会に簡略された字体の収集を提案し、翌[[1935年]]には2400字余りの『簡体字譜』の草案が編まれた。一方で、[[国民政府]]教育部でも324字の「第一批簡体字表」を公布したが、1936年に「不必推行」(普及の必要なし)の命令が出され実施されることはなかった。その後、簡略字体の収集が盛んになり[[1937年]]には字体研究会が1700字の「簡体字表第一表」を発表している。
1949年10月に[[中華人民共和国]]が[[建国]]され
[[1977年]]、中国文字改革委員会は新たに「[[第二次漢字簡化方案]]草案」を発表し、さらなる漢字の簡略化を目指した。しかしこの試みは[[文化大革命]]直後ということもあって、あまりにも拙速なもので、字体が簡略化され過ぎて「読みにくい」、「見苦しい」と猛烈に批判され、社会に混乱を催した。その結果8年間の試行で廃止された。これらの簡化字は俗に'''二簡字'''と呼ばれる。この後、若干の漢字の取り扱いに変更があったものの、新たに大規模な文字改革は行われておらず、公式に定められた規範としての簡体字は安定期に入っていると言える。
1986年10月「簡化字総表」の再発表、2235字。①第1表:偏旁として使わない簡化字350字②第2表:偏旁として使ってよい簡化字132字と簡化偏旁14種③第3表:簡化偏旁から類推して簡略化した漢字1753字
1987年3月「地名での文字使用に関する若干の規定」を公布。1987年4月「放送・映画・テレビで言語と文字を正確に使うことに関する若干の規定」
1988年1月『現代漢語常用字表』を発表。常用字2500字、次常用字1000字。3月『現代漢字通用年表』を発表。「印刷通用漢字字形表」を時代に適応させたもの。同字形表から50字を削り、854字を増加。計7000字。
2000年10月中華人民共和国国家法用語言文字法が制定された。
== 東南アジアでの受容 ==
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