「都波岐神社・奈加等神社」の版間の差分

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== 歴史 ==
社伝によれば、[[雄略天皇]]23年、[[勅]]により[[伊勢国]]の高雄束命<ref>[[猿田彦]]の八世の孫とされる。</ref>が[[伊勢国]][[河曲郡]][[中跡村]](現在地)に社殿を2つ造営し、それぞれ都波岐神社・奈加等神社と称したのが起源とされる。『[[延喜式神名帳]]』では両社とも小社に列した。[[天長]]年間に[[弘法大師]]が参籠し、[[獅子頭]]2つを[[奉納]]した。[[承暦]]3年([[1079年]])、2社に対して[[正一位]]の[[神階]]が授けられ、[[白河天皇]]より[[宸翰|宸筆]]の[[勅額]]が授けられた。[[永禄]]年間、[[織田信長]]の伊勢平定の際に社殿を焼失し、旧記も失われた。[[寛永]]年間、[[神戸城]]主一柳監物が再建した。
 
[[明治]]時代に両社をあわせて「都波岐神社奈加等神社」として[[県社]]に列格。現在は2社の[[祭神]]が1つの社殿に[[祭神#主神・配神|相殿]]として祀られる。