「朝霞自衛官殺害事件」の版間の差分

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'''朝霞自衛官殺害事件'''(あさかじえいかんさつがいじけん)とは、[[1971年]](昭和46年)[[8月21日]]に、[[東京都]][[練馬区]]・[[埼玉県]][[朝霞市]]・[[和光市]]・[[新座市]]にまたがる[[陸上自衛隊]][[朝霞駐屯地]]で[[駐屯地警衛隊|警衛勤務]]中の[[自衛官]]が、[[日本の新翼|新左翼]]によって殺害されたテロ事件。
 
[[犯人]]グループが「赤衛軍」を自称したことから「'''赤衛軍事件'''」ともいう。[[朝日ジャーナル]]の[[川本三郎]]記者と[[週刊プレイボーイ]]の記者<ref>この記事において、川本は自身の著作でこの事件に関与している事を述べているため実名にて記述する。</ref>がそれぞれ犯人を手助けしており、日本の[[マスメディア]]の信頼失墜にも繋がった。
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事件現場周辺には、「赤衛軍」の名称が入った赤[[ヘルメット]]やビラなどが散乱していた。そして、近くの側溝から一場陸士長が所持していた[[小銃]]が発見されたが、左腕に付けていた「警衛」の[[腕章]]が消えていた。
 
[[埼玉県警察]]は「赤衛軍」という[[暴力集団]]党派が起こした事件とみて、[[朝霞警察署]]に捜査本部を設置し[[捜査]]を開始した。遺留品を調べたところ、何れも[[東京都]]内で販売されたことから、犯人は都内に住んでいると推測したが、赤衛軍はこれまで事件を起こしたことがなく、[[公安警察]]といえども正体不明の存在であった。
 
発生直後から、マスコミはこの事件を大きく取り上げていたが、10月5日発売の『[[朝日ジャーナル]]』に「謎の超過激派赤衛軍幹部と単独会見」という記事が掲載された。この記事には、まだ一般に公表していなかった「警衛腕章」の強奪を示唆していたことから、犯人しか知りえない事実であることが判明し、取材源は限りなく「クロ」であることが分かった。