「論語義疏」の版間の差分

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[[魏 (三国)|魏]]の[[何晏]]が著した『[[論語集解]]』を基として、[[魏晋南北朝時代]]以来の諸家の注釈、及び自己の注釈からなる。「義疏」とは[[経書]]の注釈に対しての注釈を意味している。当時の学術の風潮により、[[玄学]]または仏教的な解釈の引用も多いが、それらを穏当に論じている。
==論語義疏中国における行方==
『論語義疏』は日本においては伝存する書物として伝わっているが、中国においては失われている。いつ頃失われたかは書籍目録類を参照すると北宋前期王尭臣等の『崇文総目』、南宋前期成立の『群斎読書志』1177年成立の『中興館閣書目』、『遂初堂書目』のそれぞれに記録されているが、南宋後期の『直斎書録解題』には記録されていないことから南宋頃に失われたとされている。<ref>{{髙田宗平|日本古代『論語義疏』|2015|新|塙書房刊|1150023420|塙書房|ref=harv}}</ref>
 
 
== 脚注 ==