「加藤三郎 (新左翼)」の版間の差分

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'''加藤 三郎'''(かとう さぶろう、[[1948年]][[7月25日]] - )は、日本のテロリストで[[日本の新左翼]]の元活動家。[[神社本庁爆破事件]]など数多くの反日武装闘争という名の爆弾テロを実行した。[[指名手配]]中に[[インド]]の[[神秘家]]の[[バグワン・シュリ・ラジニーシ]]に弟子入りしたことから「'''スワミ・プレム・デパム'''」の宗教名もある。
 
== 人物 ==
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=== 反日思想との出会い ===
1970年頃から、[[朴慶植]]の『[[朝鮮民族|朝鮮人]][[強制連行]]の記録』や[[太田竜|太田龍]]の『辺境最深部に向かって退却せよ』を読んだことで、「[[日本帝国主義]]の悪行」を知り、「[[犯罪]][[民族]]・[[日本人]]」の「罪深さ」を痛感し、過激な[[反日主義]]思想を培っていった(反日思想の詳細については、「[[日本原住民論]]」「[[反日亡国論]]」を参照)。同時期、[[北海道]]で自生している[[アサ|麻]]を発見、[[大麻|マリファナ]]を精製して活動資金を捻出しようとしたが、[[名古屋市|名古屋]]の[[地下街]]で大麻所持の現行犯により[[逮捕]]され、そのときに太田龍の著書を持っていたことから、自身が「[[反日主義者]]」であることが[[警察]]に露見した。
 
1974年8月30日、[[三菱重工爆破事件]]([[連続企業爆破事件]]の最初の事件)が起きると、加藤は事件を起こした[[東アジア反日武装戦線]]の刊行物『[[腹腹時計]]』を読み、彼らの[[反日闘争]]に強い影響を受けた。やがて加藤は「'''武装闘争'''」という名の[[テロリズム|テロ]]行為に手を染めることになる。
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加藤は「[[反天皇制闘争]]」を黙殺して葬り去ろうとする「[[天皇制]][[日本]][[国家]]の陰謀」と思い込み、ますます敵対意識を強めることになった。そして[[爆弾]]テロを起こすに至った。
 
=== 爆弾闘争テロの開始 ===
加藤は1976年春に爆弾の材料となる[[除草剤]]を購入したものの、なかなか踏ん切りがつかず一時的にどこかに隠すことにした。7月2日夜に岐阜県[[可児郡]][[可児町]](現[[可児市]])の工場跡に隠そうとしたが、警察に見つかった。隙を見て脱出に成功したものの、除草剤などは放置した。警察は加藤を[[爆発物取締罰則]]違反で[[指名手配]]し、加藤の交友関係を調べていくうちに[[北海道庁爆破事件]]の[[犯人]]として[[大森勝久]]が浮上したため、8月に大森は逮捕された。