「毛沢東思想」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
57行目:
 
=== 日本 ===
毛沢東思想自体は、[[文化大革命]]の実態が長く隠蔽されていた日本では[[進歩的文化人]]の手により、現代社会における政治体制を考える上で多くの示唆を与えてくれる思想として喧伝されたため、これを信奉する若者が以後にわたり続出した。ただし、中国の毛沢東が遊撃戦、軍拡、核武装、武装闘争、暴力革命を最優先させたのに対して、日本の毛派は反戦主義、軍備否定、反核を唱えるなど正反対で矛盾も多して。日本共産党やリベラル派の左翼組織は、スターリン主義の派生だとして憎悪する者もいる。
 
日本においては、<!--労働者農民党、-->[[共産主義者同盟マルクス・レーニン主義派|共産同ML派]]、[[日本共産党(左派)]]、[[日本共産党(革命左派)神奈川県委員会]](のちの[[連合赤軍]])、[[日本労働党]]といった政治団体がかつて毛沢東思想を指導思想として掲げ、[[全学共闘会議|全共闘]]や毛派以外の[[日本の新左翼]]も毛沢東主義から一定の影響を受け、[[東京大学]]の正門には毛沢東の肖像画とともにその言葉である[[造反有理]]が掲げられていた時期もあった<ref>佐々淳行『東大落城 安田講堂攻防七十二時間』</ref>。毛沢東主義は、議会主義と大衆運動を掲げていた[[日本共産党]]や[[日本社会党]]の主流派の方針とは相容れないものであり、毛沢東思想支持者は[[既成左翼]]と呼ばれた社会党・共産党の両政党と激しく対立した。[[日本共産党(行動派)]]は、修正的な毛沢東主義を掲げている。日共行動派は反米[[右翼]]、[[暴力団]]と共闘するなど日本の左翼運動の中では異端的である。また、[[緑の党 (日本 1981)|三橋派緑の党]]なども毛沢東主義を独自に解釈した独特のイデオロギーを有している。