「考証学」の版間の差分

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考証学の分裂した原因に関しての内容を追加。清代学術概論(梁啓超)を参考
正統派の学風の特色について叙述。 梁啓超『清代学術概論』を参考
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「清朝考証学」の研究対象は、「[[経書]]」のみならず、やがて[[史学]]・[[諸子学]]の書籍にもおよび、「[[経学]]」離れの様相を呈するに至ったが、上記の学術運動の形成が、漢代以来の「[[経学]]」の批判的解読に始まり、「[[経学]]」の改新を目指す形で起こったことは揺るがない事実であった<ref>{{Cite book|和書|author=木下鉄也|authorlink=木下鉄也|title=[[「清朝考証学」とその時代]]|publisher=[[創文社]]|origdate=1996-1-20|page=83}}</ref>
 
== 正統派の学風 ==
*一.およそ一つの解釈をおこなうには、必ず証拠による。証拠なくして憶測するというのは、断固として排斥するところである。
*二.証拠を選択するには、古えを尊ぶ。漢・唐の証拠によって宋・明を批判するが、宋・明の証拠によっては漢・唐を批判することをしない。漢・魏によって唐をひはんしてよく、漢によって魏・晋を批判してよく、先秦・前漢によって後漢を批判してよろしい。経によって経にを証明すれば、すべての経伝を批判してよろしい。
*三.一つの証拠によって定説とはしない。反証のないものはしばらくおいて、続証を得てはじめて信用する。有力な反証にあえば放棄する。
*四.証拠を隠匿すること、あるいは証拠を曲解することを、すべて不徳と考える。
*五.同類の事項をならべて比較研究し、その方法をもとめることをもっともよろこぶ。
*六.従来の学説を採用したばあいには、必ず明記し、剽窃を大なる不徳と考える。
*七.意見があわなければ、たがいに論争する。弟子が師を反駁非難することをも辞さない。受けてたつ者も、それを師にさからうこととはけっして考えなかった。
*八.論難は、ある問題を範囲として設定し、温厚篤実なる言葉を用いるようにする。自己の意見をまげることはけっしてしないが、同時に、他人の意見をも尊重する。いたけだかにやっつけたり、つまらぬことでひっかけたり、暗に皮肉を言ったりすることを不徳と考える。
*九.専門的に一つの事を研究し、「搾く、かつ深く」研究することをよろこぶ。
*十.素朴、簡潔なる文体を貴び、「言葉に枝葉ある」ことをもっときらう<ref>{{Cite book|和書|author=梁啓超|authorlink=梁啓超|title=[[清代学術概論]]|publisher=[[平凡社]]|origdate=1974-1-28|pages=126-127}}</ref>。
 
== 考証学の方法論 ==
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*第二に、そもそも学問の継続的な発展には比較的太平の世が続いた時代であることが不可欠であるが、清学の根拠地である江浙は威豊・同治の乱([[太平天国]])で被害を受け、文献も失われている。そのため、学問が衰退するのは当然のことであった。
*第三に、海禁が解かれ、「西学」が次第に輸入された点である。これにより、きわめて幼稚な西学の知識と、清初啓蒙期の経世の学とを相結合させ、別に一学派を樹立して、正統派にたいして公然と反旗をひるがえすことにつながった。
以上が、分裂の主要な原因であるとされる<ref>{{Cite book|和書|author=梁啓超|authorlink=梁啓超|title=[[清代学術概論]]|publisher=[[平凡社]]|origdate=1974-1-28|pages=231-235}}</ref>