「ヴュルテンベルク王国」の版間の差分

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|人口密度=132
|成立経緯=[[ヴュルテンベルク公国|ヴュルテンベルク]]選帝侯の王位獲得(1806年)
|消滅経緯=[[ドイツ革命]]による君主制廃止(1918年、以後[[ヴュルテンベルク#王制廃止後のヴュルテンベルク|ヴュルテンベルク自由人民州]]へ)<br />[[バーデン共和国]]と合併して[[バーデン=ヴュルテンベルク州]]へ(1952年)
|連邦参議院=4
|ナンバープレート=III A,C,D,E,H,K,M,P,S,T,X,Y,Z
}}
 
'''ヴュルテンベルク王国'''(ヴュルテンベルクおうこく、{{Lang-de|Königreich Württemberg}})は、[[19世紀]]から20世紀初めにかけて[[ドイツ]]南部を統治した[[王国]]。[[ヴァイマル共和政]]下での[[シュトゥットガルト]]近辺は[[:de:Volksstaat Württemberg|ヴュルテンベルク自由人民州]]であった。[[第二次世界大戦]]後、旧王国領は旧[[バーデン大公国]]領の[[バーデン共和国]]と合併して[[バーデン=ヴュルテンベルク州]]となった。
 
== 公国時代 ==