「ブレイクダンス」の版間の差分

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脚注
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== 概要/起源 ==
ブレイクダンスは[[1970年代]]に[[ニューヨーク]]のサウスブロンクス地区の[[アフリカ系アメリカ人]]や[[ラテンアメリカ人]]の若者達によって発展したストリートダンスのスタイルである<ref>{{cite web|url=https://historyofthehiphop.wordpress.com/hip-hop-cultures/break-dancingdance/|  title=Breakdancing, B-boying, Breaking|publisher=History of Hip Hop}}</ref>。また、[[アフリカ・バンバータ]]の提案で[[ギャング]]が抗争をまとめる為に銃撃戦の代わりにブレイクダンスのバトルを用い、発展に繋がったと言われている。映画『ワイルドスタイル』(1982)はブレイクダンスを知らしめるに充分だった
 
後に、ニューヨークのロックステディークルー(Rock Steady Crew)などのクルー同士による大規模な抗争がメディアの関心を受け、これがダンスチームの急速な成長へと繋がった。[[ディスコ|ディスコクラブ]]やテレビ番組、公のイベントなどにもブレイクダンサーは進出していった。人気は[[1980年代]]後半には下火となったが、アフリカの民族舞踊などの動きなどが取り入れられ地味ながら安定した人気もある。[[Battle of the Year]]やUK B-Boy Championships、Freestyle Session等の世界大会も行われるようになっている。
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== 詳細/特徴 ==
[[画像:Breakdance.jpg|thumb|200px|right|[[コペンハーゲン]]街頭でのブレイクダンス]]
 
=== 音楽 ===
音楽はブレイクダンスにとって大切な要素である。ブレイクダンスの音楽であるブレイクビーツの元となった原曲は、1970年代から1980年代頃の[[ファンク]]、[[ソウルミュージック|ソウル]]、[[ジャズ・ファンク]]、ラテン、ディスコミュージック、[[リズム・アンド・ブルース|R&B]]などの間奏に見られる。これらの異なった曲をDJが編集したものが用いられる。この手法はDJ[[クール・ハーク]]により生み出された。さらにハークの友人であるグランドマスター・フラッシュや、アフリカ・バンバータらがこれを発展させた。やがてブレイクビーツのほかにスクラッチも、ブレイクダンスを盛り上げる要素として、加えられていった。
 
ブレイクダンスに適した音楽であればジャンルは制限されず、異なった音楽のジャンルであるエレクトロ、[[ロック (音楽)|ロック]]なども使用される。ブレイクダンスの課題曲としては、ジェームス・ブラウンの「ギブ・イット・アップ・オア・ターン・イット・ルーズ」やジミー・キャスター・バンチの「イッツ・ジャスト・ビガン」、インクレディブル・ボンゴ・バンドの「アパッチ」<ref>Francois Marchand, [https://vancouversun.com/news/Breaking+down+Apache+with+video/9172364/story.html "Breaking down Apache (with video): New film Sample This examines ‘national anthem of hip-hop’ recorded in Vancouver"], ''[[Vancouver Sun]]'', December 20, 2019.</ref>
などがある。
 
=== 世界のシーブレイクダ ===
アメリカではNYC.BREAKERSなどがメディアで活躍しアメリカ国内でブームを巻き起こすも、ブームは去ってブレイクダンスは下火になる。この間ブレイクダンスはヨーロッパにも伝わり人気を得ることになる。1990年にはドイツで世界大会Battle of the Yearが開催されるまでになり、アメリカでも人気を盛り返す。90年代、現在のブレイクダンスの基礎を築いたRock Steady CrewのPrince Kenswiftの影響を色濃く受けたアメリカのSTYLE ELEMENTSはブレイクダンスを一つ上のレベルまで押し上げたと言われ、現在のシーンにも多大な影響を与えている。
 
2000年代に入り、今まで見たことも斬新いムーブダンス見せるB-Boyがフランス・韓国から次々と登場し世界に衝撃を与える近年では特に[[韓国]]の代表チームが世界の中でも実力が特出しており、著名な世界大会のタイトルを次々と獲得し、一躍世界で確固たる地位を築いている。こうした活躍により韓国ではブレイクダンスが国内文化のメジャーな存在になりつつあり、プロとして活躍しているダンサーも多く、政府までが支援に乗り出している。また[[プーマ]]や[[FILA]]のような大企業がスポンサーを務めていることもある。さらにイベント会場もクラブのようなアンダーグラウンドな場所ではなく、一般のホールなどを借りて行われることが多い。
 
その他の地域でもシーンの広がりはめざましく、北アメリカ、ヨーロッパ以外にも、東アジア、東南アジア、西アジア、アフリカ、オセアニア、南米など、はてはロシアのチームが2008年の著名な世界大会で準優勝するなど、現在ではB-boy B-girlは世界中に存在するといっても過言ではない。現に[[Battle of the Year|BOTY]]参加国は年々増加している。
 
2000年代はBattle of the YearとUK Bboy Championships、Freestyle Sessionが世界三大大会と称されていたが、直近ではRed Bull BC OneやR16 Korea、World Bboy Classic、IBE等、世界規模の大会が海外の大規模スポンサーを巻き込み開催され、メディアへの露出機会も飛躍的に増えた為、世界規模のシーン拡大に幅広く貢献している。
 
=== 構成 ===
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またDJの選曲は、ダンサーのテンションやバトルの流れに大きな影響を及ぼすので、DJの実力が試される場でもある。勝敗は全てジャッジの裁量に委ねられるが、基準となるものはなく、どこに重点をおいて評価するかはそれぞれのジャッジにより異なる。そのためバトルイベントのジャッジはかならず複数いる。
 
=== *サークルバトル ===
クラブのDJタイムなどに行われる、ジャッジやMCのいないサークルバトルというのも存在する。イベントバトルと違い自分の好きな相手に好きなだけバトルを挑むことができる場であり、またバトル経験の浅い、あるいは全くない人の実戦練習の場としても重宝されている。色々な人が各々のタイミングでただ単に技を披露するだけのサークルと呼ばれるものも存在する。
 
=== *ショーケース ===
クルーが様々な楽曲(ブレイクビーツに限らず、クラシックなども使用される)を編集してある程度の長さの曲を創り、その曲に合わせてクルー全員でエントリーをしたり、ソロパートを設けたりして創る振り付けのことである。Battle of the Yearでは予選から、ShowSideとして各クルーがショーケースを披露することを義務付けられている。
 
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1980年代のBボーイは分厚く、しっかりとした型の[[アディダス]]や[[プーマ]]、[[フィラ]]などの紐靴を履いていた。また、Bボーイはより機能的でオシャレなものを身に着けるようになっていき、摩擦の少ないシャツや、フードのついたもの、個性的なものを着ていた。またアイテムとして、大型の[[ラジカセ]]やストリートでの公演に使う[[段ボール]]を持ち歩いていた。また、あえてこれらの外観と違った格好をして目立つ為に、[[ロック (音楽)|ロック]]ミュージシャンのような格好をするものもいた。クルーでの一様性や連帯感を出すために帽子やシャツ、靴を合わせて、相手に対する威嚇や主張にも使われた。また、現在も同じようにクルーで統一するところは多い。
 
最近ではブレイクダンスの進化に伴って(上半身の動きが多くなり)それほどだぶだぶでない服装が一般的になってきた。プーマやトライバル(TRIBAL)などブレイクダンスを支援するブランドもある。これらは多くのブレイクダンスイベントも後援している
 
現在ではプーマやトライバル(TRIBAL)などブレイクダンスを支援するブランドもある。これらは多くのブレイクダンスイベントも後援している。
 
== 日本のシーン ==
1983年に映画「[[ワイルド・スタイル]]」で来日した『ロックステディクルー([[:w:Rock Steady Crew]])』が日本にブレイクダンスを紹介した。それまではほとんどメディアに紹介される事はなかったが、西武デパートの記念イベント<ref>[http://funkyjam.jp/report.html 日本のヒップホップはここから始まった]</ref><ref>[http://www.webdice.jp/dice/detail/4674/ 1983年『ワイルド・スタイル』初公開の熱気と「文化の衝突」―葛井克亮さんとフラン・クズイさん語る]</ref>としてテレビの11PMで放映した<ref>[https://twitter.com/isoberyo/status/582858339794579456 twitter 磯部涼 2015年3月31日]</ref>。その時の放映で『ファンキージャム<ref>[http://funkyjam.jp/ ファンキージャム]</ref>』がエレクトリックブギを教えていることが紹介される。ファンキージャム・ブレーカーズが誕生し、日本各地でショーをしたことで広く知られる事となる<ref>[http://funkyjam.xyz/st6.html ファンキージャム・ブレーカーズの結成]</ref>。1984年11月には、風見慎吾が楽曲『涙のtake a chance』を発売し、テレビを通じて一般にも知られるようになった<ref name="asahi170526"/><ref name="news-postseven"/><ref name="redbull"/>。それがきっかけでストリートで練習する若者が増え現在に至っている<ref name="asahi170526"/><ref name="news-postseven"/><ref name="oricon"/><ref name="redbull"/><ref name="sponichi"/>。
 
現在では[[コマーシャルメッセージ|CM]]、[[ミュージック・ビデオ|PV]]などで目にする機会も増え、駅構内やビル前、学校の文化祭などで見かけることも増えた。[[大阪]]の[[JR難波駅]]にある[[大阪シティエアターミナル|OCAT]]はブレイクダンスに限らず、日本のストリートダンスのメッカとして広く知られている。
 
しかし公共の場である駅やビル前で大音量で音楽を流したり、道を塞いだり、ゴミを散らかして帰ったりするモラルを欠いたダンサーも多く現れ、そうしたダンサーの為にダンス禁止といった看板が掲げられている駅などが増加傾向にある。また[[B系]]といった誤用が示すように、日本ではヒップホップファッションがいわゆる不良少年のファッションとして定着していることもあり、一般の人からはダンサーも[[モラトリアム]]グループと同一視されがちである。日本のコメディアンとしては、[[ナインティナイン]]の[[岡村隆史]]や[[ガレッジセール]]のゴリが得意とする。
 
2005年以降はネット上で世界中から動画を集めて更新するサイトや、掲示板のコミュニティーが登場し、若年層における新規参入者の増加に貢献した。代表的なサイトは[http://blog.livedoor.jp/haruka5671/ 激走ぶろぐ]、[http://breakdancejapan.com/ BREAK DANCE JAPAN ]、[http://breakdance.hatenablog.com/ Breakin' Cypher ]がある。しかし、ネットでは饒舌であるがバトルにも行ったことがない、大したスキルを持っていない人を[[ネットブレイカー]]と呼び、一時期は波紋を呼んだ。
 
2013年からはテレビにおいてスタードラフト会議を中心としたダンス番組が飛躍的に増え、更に若い層の新規参入に貢献している。
 
現在、The Floorriorz、[[MORTAL COMBAT]]、Body Carnival、Foudnationなどのチームがある。Shigekixを筆頭にキッズブレイクダンサーの活躍も顕著で、Bガールのレベルは常に世界一と言われている。年齢性別問わず、幅広い層が存在するのが日本のブレイクダンスシーンの特徴である。
 
== 世界のシーン ==
アメリカではNYC.BREAKERSなどがメディアで活躍しアメリカ国内でブームを巻き起こすも、ブームは去ってブレイクダンスは下火になる。この間ブレイクダンスはヨーロッパにも伝わり人気を得ることになる。1990年にはドイツで世界大会Battle of the Yearが開催されるまでになり、アメリカでも人気を盛り返す。90年代、現在のブレイクダンスの基礎を築いたRock Steady CrewのPrince Kenswiftの影響を色濃く受けたアメリカのSTYLE ELEMENTSはブレイクダンスを一つ上のレベルまで押し上げたと言われ、現在のシーンにも多大な影響を与えている。
 
しかし公共の場である駅やビル前で大音量で音楽を流したり、道を塞いだり、ゴミを散らかして帰ったりするモラルを欠いたダンサーも多く現れ、そうしたダンサーの為にダンス禁止といった看板が掲げられている駅など場所が増加傾向にある。また[[B系]]といった誤用が示すように、日本ではヒップホップファッションがいわゆる不良少年のファッションとして定着してい誤解されこと場合もあり、一般の人からはダンサーも[[モラトリアム]]グループ不良と同一視されがちである。日本のコメディアタレとしてトでtrfのSAMや[[ナインティナイン]]の[[岡村隆史]]や[[ガらがブッジセール]]のゴリがイクダンスを得意としているが、黒人の模倣との見方もある。
2000年代に入り、今まで見たこともないムーブをするB-Boyがフランス・韓国から次々と登場し世界に衝撃を与える。近年では特に[[韓国]]の代表チームが世界の中でも実力が特出しており、著名な世界大会のタイトルを次々と獲得し、一躍世界で確固たる地位を築いている。こうした活躍により韓国ではブレイクダンスが国内文化のメジャーな存在になりつつあり、プロとして活躍しているダンサーも多く、政府までが支援に乗り出している。また[[プーマ]]や[[FILA]]のような大企業がスポンサーを務めていることもある。さらにイベント会場もクラブのようなアンダーグラウンドな場所ではなく、一般のホールなどを借りて行われることが多い。
 
2005年以降はネット上で世界中から動画を集めて更新するサイトや、掲示板のコミュニティーが登場し、若年層における新規参入者の増加に貢献した。代表的なサイトは[http://blog.livedoor.jp/haruka5671/ 激走ぶろぐ]、[http://breakdancejapan.com/ BREAK DANCE JAPAN ]、[http://breakdance.hatenablog.com/ Breakin' Cypher ]がある。しかし、ネットでは饒舌であるがバトルにも行ったことがない、大したスキルを持っていない人を[[ネットブレイカー]]と呼び、一時期ばれた。2013年から波紋ETV呼んだはじめとしてテレビのダンス番組が増え、更に若い層の新規参入に貢献している
その他の地域でもシーンの広がりはめざましく、北アメリカ、ヨーロッパ以外にも、東アジア、東南アジア、西アジア、アフリカ、オセアニア、南米など、はてはロシアのチームが2008年の著名な世界大会で準優勝するなど、現在ではB-boy B-girlは世界中に存在するといっても過言ではない。現に[[Battle of the Year|BOTY]]参加国は年々増加している。
 
現在、The Floorriorz、[[MORTAL COMBAT]]、Body Carnival、FoudnationARIYAなどのチームがある。Shigekixを筆頭にキッズブレイクダンサーの活躍も顕著で、Bガールのダンス・レベルは常に世界一と言われても高日本のブレイクダンスシーンには年齢性別問わず、幅広い層が存在するのが日本のブレイクダンスシーンの特徴である。
2000年代はBattle of the YearとUK Bboy Championships、Freestyle Sessionが世界三大大会と称されていたが、直近ではRed Bull BC OneやR16 Korea、World Bboy Classic、IBE等、世界規模の大会が海外の大規模スポンサーを巻き込み開催、メディアへの露出機会も飛躍的に増えた為、世界規模のシーン拡大に幅広く貢献している。
 
== テクニック ==
近年は、技の増加により、はっきりとした名称が付けられていない技が増えてきた。これは、エントリー、フットワーク、パワームーヴ、フリーズのいずれでも言えることであるが、オリジナリティが発揮されやすいエントリーとフットワークにおいてはそれが顕著である。さらにあるダンサーのオリジナルの技をシグネチャームーブと言い、それらを真似することをバイトと言って批判の的になることがある。しかしながらウインドミルやシックスステップのようにシグネチャームーブも時が流れるにつれてブレイクダンスの基礎としてバイトの枠から除外されることがあり、バイトの定義は曖昧である。