「六祖壇経」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
修正。
編集の要約なし
1行目:
{{出典の明記|date=2019年4月}}
 
『'''六祖壇経'''』(ろくそだんきょう)は、[[仏教]]の[[経典]]で、[[中国]][[禅宗]]の第六祖[[慧能]]の説法集である。[[禅宗]]における根本教典のひとつ。最も古い写本は『南宗頓教最上大摩訶般若波羅蜜六祖能大師於韶州大梵寺施法壇』と名づけられる。『'''六祖大師法宝壇経'''』とも、単に『'''壇経'''』とも言う。
 
[[]]代の初め頃、韶州刺史の韋璩(い きょ)の求めに応じて、大梵寺において行った説法をおもな内容とする。書き留めたのは弟子の法海である。
 
==構成==
[[北]]の時代、[[967年]]に恵昕(えきん)が文章を整理し、上下巻に分けた本が広く通用している。それによると、全体は十一門に分けられている。
*上巻
**縁起説法門
25行目:
 
==内容==
『壇経』の主題は「'''[[見性]]成仏'''」である。それを語る、慧能が六祖となるまでの逸話が興味深い。五祖[[弘忍]]の弟子たちへの問いかけに応じて、新しい白壁に筆頭弟子の[[神秀]]が書いた詩に「莫使染塵埃」(塵埃に染さしむること莫かれ)とあったのを聞いて、読み書きできなかった下男の慧能は人に頼んでその隣に詩を書いた。その中には「何処有塵埃」(何処に塵埃有らん)とあった。つまり、一般的には心を清めて悟りに達すれば、塵など気にかからなくなると考えがちだ。もはや塵にとらわれることがないと解釈する。しかし、慧能の考えでは、それではまだ心の中に塵を認識するものが残っている。それも捨て去っていったところで、初めてどこに塵があるのか、あるのはだたそのものだけじゃないかという境涯に達する。それに気付くのが見性成仏ということである。様々の汚れは妄想により存在するので、妄想を止めれば、そのものが仏の世界なのだという思想である。『壇経』においては、その思想が明確に(中国禅の典籍にしては、という但し書きが付くが)語られている。
 
南方禅(頓悟禅)は『六祖壇経』の教義を基盤にしている。というよりは、慧能の弟子の[[荷沢神会|神会]]がその宗旨をもとに、慧能の説法の記録だった『六祖壇経』を編修したという説が有力であり、後の禅宗の発展に大きな影響を及ぼした。
48行目:
{{Buddhism-stub}}
{{DEFAULTSORT:ろくそたんきよう}}
[[category:語録]]
[[Category:8世紀の書籍]]
[[Category:唐代の書籍]]
[[Category:諸宗部 (大正蔵)]]
[[Category:禅籍]]
[[categoryCategory:語録]]