「モリワキエンジニアリング」の版間の差分

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レース活動を積極的に行い、特に[[フレーム (オートバイ)|フレーム]]製作で知られる。1970年代から1990年代にかけて、市販車改造カテゴリーであるTT-F1クラスおよびTT-F3クラスにおいてワークスマシンと互角の性能を持つマシンを次々と開発し、[[1981年]]の[[鈴鹿8時間耐久ロードレース]]で、当時無名の[[ワイン・ガードナー]]の手によって[[ポールポジション]]を獲得などによってに広く知られるようになった。1984年には[[八代俊二]]のライディングによりTT-F1チャンピオンを獲得。当時のライセンス区分で登竜門的区分であった国際B級にも[[宮城光]]らのライディングで参戦し若手を発掘。[[テレビ東京]]系スポーツバラエティ「[[Do!スポーツ]]」との協力で1983年から多くのレース関連企画を番組で放映、[[清水国明]]のレース参戦を番組を通じてサポートした。レーシングマシン「モリワキ・モンスター」([[カワサキ・Z1000]]のエンジンをオリジナル[[アルミニウム|アルミ]]フレームに搭載)や、[[ホンダ・VFR|VFR750R]]のエンジンをオリジナルフレームに搭載した「Zero-VX7」が特に知られている。また、血縁関係にあるヨシムラジャパンに一時期フレームを納入していた時期もあった。
 
 [[本田技研工業|当初はヨシムラを引き継ぐ形で[[カワサキZ]]系でレースを行っていたが、レギュレーション変更にともなってパートナーを[[本田技研工業|ホンダ]]に変更、現在も]]強い友好関係にある。
 
 1984年にホンダが本格的に250ccクラスへの復帰を果たした際には、レーサーの[[ホンダ・RS|RS250]]のエンジン供給を受けて独自のフレームに搭載したマシンで[[全日本ロードレース選手権]]・250ccクラスにフル参戦。[[1986年]]にはそのオリジナルフレームマシンでWGP250ccクラス(イギリスGP)にもスポット参戦し世界を視野に入れたマシン製作にチャレンジしていた。1986年と[[1987年]]にはホンダワークスマシンである[[ホンダ・NSR500|NSR500]]や[[ホンダ・NS500|NS500]]を貸与され、全日本ロードレース選手権の最高峰である500ccクラスにフル参戦。86年に八代が1勝、87年も[[樋渡治]]のライディングにより雨のレースで勝利を挙げるなど健闘を見せた。
 
若手ライダーの発掘と育成も行っており、モリワキに見出されたガードナーや八代、宮城はその後[[ホンダ・レーシング|ホンダワークスチーム(HRC)]]へと巣立ち、樋渡はスズキワークスへと移籍。[[ケビン・マギー]]や[[ピーター・ゴダード]]もモリワキに見出され、後に世界最高峰クラスである[[ロードレース世界選手権|WGP500]]で活躍した。
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MotoGPの旧GP250クラスが[[2010年]]より「[[Moto2]]」クラスにリニューアルされるのに伴い、同クラス用のマシンとして「MD600」を開発し、[[2009年]]のシーズン途中より全日本ロードレース選手権に賞典外ながらテスト参戦。2010年の「Moto2」クラス開始とともにMotoGPに参戦し、MD600を使用していた[[トニ・エリアス]]が第2戦[[スペイングランプリ (ロードレース)|スペインGP]]での初優勝を皮切りにシーズン7勝を挙げ個人の総合チャンピオンとなり、シーズンのマニュファクチャラーズ・ランキングでもモリワキは2位の成績を残した。
 
しかし[[2019年]]のシーズン終了後、全日本ロードレース選手権及び鈴鹿8耐からの撤退を発表<ref>[https://www.as-web.jp/bike/544536?all 名門モリワキ“苦渋の選択”。2019年限りで鈴鹿8耐及び全日本ロードJSB1000参戦休止を発表] - オートスポーツ・2019年11月19日</ref>。今後は「環境性能を含めた高性能パーツの開発・製作に注力する」としている。
 
オートバイ用パーツの他に「モリワキ最中」という[[和菓子]]も発売している。
 
== 脚注 ==
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== 関連項目 ==