「三別抄」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
38行目:
== 三別抄のその後について ==
20世紀後半に、[[沖縄県]][[浦添市]]浦添ようどれで高麗瓦が発掘された。この瓦の文様は、三別抄が[[珍島]]に造営した龍蔵城跡から出土した瓦の文様と類似している。浦添ようどれの瓦には「癸酉年高麗瓦匠造」という刻印があるが、[[癸酉]]年は1153年、1273年、1333年、1393年などが該当する。[[国士舘大学]]教授の[[戸田有二]]は、これが1273年だとすれば、三別抄が[[済州島]]で滅ぼされた年と同一であるため、三別抄の生き残りの人々が沖縄に逃避してきたのではと推測
==脚注==
|