「針ノ木峠」の版間の差分
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{{Infobox 峠
|名称 = 針ノ木峠
|画像 = [[ファイル:
|画像キャプション =
|標高 = 2,536
| 緯度度 = 36 | 緯度分 = 32 | 緯度秒 = 13.8
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|交通路 =
}}
[[ファイル:Mount Harinoki from Mount Otensho.jpg|サムネイル|南側から望む針ノ木岳(中央)、針ノ木峠(中央右寄りの鞍部)、蓮華岳(右端)]]▼
'''針ノ木峠'''(はりノきとうげ)は、[[長野県]][[大町市]]と[[富山県]][[中新川郡]][[立山町]]にまたがる[[峠]]。[[飛騨山脈]]([[後立山連峰]])の[[針ノ木岳]]と[[蓮華岳]]の鞍部に位置。標高は2,536m。
==概要==
===江戸時代以前===
非常に険しい山岳地帯であるが、古くは[[信濃国]]と[[越中国]]を結ぶルートの要衝であった。冬場は、人を寄せ付けない[[豪雪地帯]]となるが、[[1584年]]の冬には[[佐々成政]]が[[遠江国]][[浜松城]]主の[[徳川家康]]に直訴するために冬の峠を越えた伝説(さらさら越え)も残る<ref>[http://www.ccis-toyama.or.jp/toyama/magazine/narimasa/sasa0201.html 会報平成14年1月号新春特別企画「佐々成政と富山」]立山博物館ホームページ 2017年2月19日閲覧</ref>。
[[江戸時代]]になると[[加賀藩]]と[[松本藩]]の境界となった。しばしば信州側から黒部峡谷内に向け森林の盗伐が行われたため、加賀藩による[[奥山廻り]](視察)ルートの一つにもなった。峠は、盗伐者側(盗伐者は[[黒部川]]まで[[松本藩]]との認識があったが、いずれにせよ藩の伐採許可は得ていない)の拠点ともなり小屋もかけられていた時期もあった<ref>[http://www.yomiuri.co.jp/local/nagano/feature/CO007329/20141004-OYTAT50023.html 登山の歴史―針ノ木峠の歴史から北アルプスと人とのかかわりを探る―…関悟志・市立大町山岳博物館学芸員]YOMIURI ONLINE 読売新聞(2014年10月3日)2017年2月19日閲覧</ref>。
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[[1930年]]頃には、峠に針ノ木小屋([[山小屋]])が掛けられて、以後、北アルプス縦走路の要衝となった。
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Mount Renge and Mount Harinoki from Mount Jii 2018-07-14 with note.jpg|北側から望む針ノ木峠周辺
▲Mount Harinoki from Mount Otensho.jpg|南側から望む針ノ木岳(中央)、針ノ木峠(中央右寄りの鞍部)、蓮華岳(右端)
</gallery>
==指定キャンプ場==
[[ファイル:Harinoki Pass and Harinokigoya.jpg|サムネイル|峠にある針ノ木小屋とキャンプ指定地]]
峠には、キャンプ場指定地<ref>[http://www.naganogakuren.net/tozanjyoho/yamagoya/canp.htm 長野県キャンプ場指定地リスト] 長野県山岳ネット 2017年9月23日閲覧</ref>がある。2012年に拡張されたものの大・小取り交ぜて30張分と狭く、設営にあたっては事前に管理者である針ノ木小屋に料金を支払うとともに設置場所について采配を求めなければならない。稜線上にあるため水場はない<ref>[http://www.harinoki.com/hut.html 針ノ木小屋案内] 針ノ木小屋ホームページ 2017年9月23日閲覧</ref>。
==脚注==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
{{commonscat|Harinoki Pass}}
{{デフォルトソート:はりのきとうけ}}
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