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=== 経歴 ===
1896年に塾に入り古い学問を学ぶ。日本留学のため
1909年に学費がつきたので上海に戻り、江蘇地方自治研究所の主任教官をした後ジャーナリズムの世界に入り、その間に中国古来の学問素養を身につけ始めた。
1911年に結婚。『天鐸報』が筆禍事件を起こしたため、
1923年の秋、
1924年に孫文・廖仲愷の招きで
1926年に[[湖州市|湖州]]に戻り、政務から引退。広東大学(中山大学に改組)の校長となる。
1928年10月に国民政府の[[考試院 (中華民国)|考試院]]院長になる。その後、国共内戦によって国民党が中国大陸から追われるまで、国民党の文教政策の重鎮であった。新亜細亜学会を設立し、民族政策に注意を払った。また、ボーイ
1949年広州での死は、睡眠薬によるとされる。中国文学研究家で、戴季陶の『日本論』を評価した[[竹内好]]は、戴季陶の自殺の原因を「中国共産党政権に追いつめられたというより、国民党の腐敗に対する絶望のためではないか」と推測している。
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=== 年表 ===
*1891年1月6日 四川省成都府漢州(民国期は広漢県)
* 1949年2月12日 広東省広州市東山で没した。
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戴季陶は「最近之日本政局及其対華政策」(1917-18年)、「我的日本観」(1919年)などでその日本への関心を示している。とりわけ、『日本論』(1928年)は、近代中国人が著した最も有名な日本論の一作品と見なされている。
戴季陶が日本論を執筆した動機は、
戴季陶は明治維新を分析し、日本が江戸幕府までの精神遺産により独自の近代化に成功したと説明する。そこで「武士道」に見られる犠牲精神を特筆する。日露戦争後の日本は、「尚武」の気象が国民全体から失われて軍国主義が幅をきかすようになり、他国の侵略に走るようになった、という。
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*『協作社的效用』広州:中国国民党中央執行委員会宣伝部広州中国国民党週刊経理処、1924年1月初版、1926年2月第三版、1926年8月第四版、1927年4月第五版
*『孫文主義之哲学的基礎』上海:中国国民党中央執行委員会上海執行部、出版時間不詳(→別版:上海:民智書局、1925年7月初版)
*『孫文主義之哲学的基礎 校正増補第二版』上海:民智書局、1925年8月初版、1925年12月第二版、1927年1月第五版、1927年9月第六版(→別版:『三民主義之哲学的基礎』重慶:中央組織部党員訓練処秘書処文化駅站総管理処、1940年3月)(→日本語訳:中山志郎訳『孫文主義の哲学的基礎』東京:生活社、1939年)(→ドイツ語訳:Tai Tschi-tao
*『中国独立運動的基点』上海:中国国民党中央執行委員会上海執行部、出版時間不詳(→別版:広州民智書局、1925年8月初版、1928年7月第二版)
*林霖等紀録、何思源整理『戴季陶先生最新講演集』第1編、広州:国立中山大学事務管理処出版部、1927年1月
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*『学礼録』重慶:正中書局、1945年5月
*中国童子軍総会編『戴季陶先生与童子軍教育』台北:華国出版社、1952年2月
*陳天錫編『戴季陶先生文存』第1冊-第4冊、台北:中国国民党中央委員会、1959年3月(→原典
*中国国民党中央党史史料編纂委員会編『革命先烈先進闡揚国父思想論文集』台北:中華民国各界紀念国父百年誕辰籌備委員会、1965年11月
*中国国民党中央党史史料編纂委員会編『革命先烈先進詩文選集』第4冊「戴伝賢選集」、台北:中華民国各界紀念国父百年誕辰籌備委員会、1965年11月
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*「戴伝賢奉命前往甘孜致祭班禅経過報告及康行日記」(中国第二歴史档案館・中国蔵学研究中心編『黄慕松呉忠信趙守鈺戴伝賢奉使辦理蔵事報告書』北京:中国蔵学出版社、1993年4月)
*桑兵・朱鳳林編『戴季陶巻』北京:中国人民大学出版社、2014年4月
*『戴季陶文存<戴季陶先生的文存?>』中国革命書店、出版
== 戴季陶に関する評伝・研究(日本語以外は主要なもののみ、適宜更新) ==
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*赤松克麿「戴天仇の印象其他」(東京『経済往来』一周年記念倍大号、1927年)
*下畝生(下畝栄吉)「日本論・序」(北平『北京週報』第328号、1928年12月2日付)
*Madame Sun Yat-sen
*安藤文郎「訳者序」1934年2月(戴天仇『戴天仇・日本論』安藤文郎訳、東京:章華社、1934年版、1939年版)
*諸橋轍次「『戴天仇・日本論』を読む」(戴天仇『戴天仇・日本論』安藤文郎訳、東京:章華社、1934年版、1939年版)
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*森豊太「訳者序」1940年9月28日(戴季陶『日本論』森豊太訳、東京:官界情報社、1940年版、1941年版)
*藤島健一「解題」1946年1月(戴天仇『日本論』藤島健一訳、東京:世界思潮社、1946年)
*陳天錫『戴季陶先生編年伝記』台北:中華叢書委員会、1958年(→影印・増訂版:『戴季陶(伝賢)先生編年伝記』台北:文海出版社・近代中国史料叢刊続編第43輯421、1977年影印)
*Bernal,Martin
*陳天錫『戴季陶先生的生平』台北:台湾商務印書館、1968年
*(竹内好)「戴季陶の日本論・はじめに」(東京『中国』第56号、1968年7月)
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*鄧文光「戴季陶与中国共産党」1969年6月15日(鄧文光『現代史攷信録――研究現代史的甘苦(初稿)』香港:東風出版社、1974年)
*中島及「戴季陶のこと二つ」(東京『中国』第67号、1969年6月)
*Saywell,William C.
*北河征四郎「中国国民党「新右派」理論形成の前提――戴季陶を中心に(五・四時期~一全大会)」(愛知教育大学『歴史研究』第17号、1970年3月)
*Saywell,William C.
*“Tai Chi-t'
*Mast,Herman Ⅲ
*Mast,Herman Ⅲ
*森昌明「中国民族独立を祈願する警世の書――『日本論』」(東京『潮』第154号、1972年6月)
*萩原延寿「中国人のなかの明治維新――戴季陶『日本論』」(東京『文藝春秋』第50巻第11号、1972年9月)(→転載:萩原延寿『書書周游』東京:文藝春秋社、1973年9月)(→
*Mast,Herman Ⅲ and Saywell,William C.
*小杉修二「戴季陶主義の一考察――蒋介石政権成立の思想的前提」(東京『歴史評論』第279号、1973年8月)
*Mast,Herman Ⅲ and Saywell,William C.
*森永優子「近代中国の対日観――戴季陶の『日本論』と戴季陶主義に関する一考察」(早稲田大学『史観』第93冊、1976年3月)
*陳舜臣「揺れうごいた熱狂家・戴天仇」(陳舜臣『中国近代史ノート』東京:朝日新聞社、1976年)
*李雲漢「戴季陶」(王寿南総編輯『中国歴代思想家』第10冊、台北:台湾商務印書館、1978年初版、1979年第二版、1983年版)(→更新版:中華文化復興運動総会・王寿南主編『中国歴代思想家』23(陳大齊・太虚・戴季陶)、台北:台湾商務印書館、1999年)
*王更生『孝園尊者――戴伝賢伝』台北:近代中国出版社、1978年
*朱伝誉主編『戴季陶伝記資料』1-7、天一出版社、1979年11月-1985年
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*湯本国穂「五四運動状況と戴季陶の思想」(東京『現代中国』第61号、1987年6月)
*佐々木英昭「戴季陶『日本論』」(佐伯彰一・芳賀徹編『外国人による日本論の名著』東京:中央公論社、1987年)
*白永瑞「戴季陶
*蔣緯国「戴伝賢先生――我的親伯」(台北『近代中国』第68期、1988年12月)
*胡有瑞編「「戴伝賢先生百年誕辰」口述歴史座談会紀実」(台北『近代中国』第68期、1988年12月)(→転載:高純淑編『百年憶述――先進先賢百年誕辰口述歴史合輯』第5冊、台北:近代中国出版社、1999年)
*范小方・包東波・李娟麗『国民党理論家戴季陶』鄭州:河南人民出版社、1992年初版、1996年第二版(→別版:『戴季陶伝』北京:団結出版社、2007年)(→別版:『蔣介石的国策顧問戴季陶』北京:団結出版社、2011年)
*桑兵・黄毅「《戴季陶文集》与戴季陶研究」(桑兵『孫中山的活動与思想』広州:中山大学出版社、2001年)(→日本語訳:「戴季陶文集の編集状況について」田中比呂志訳(東京『近きに在りて』第22号、1992年11月))
*安井三吉「孫文の講演「大アジア主義」と戴天仇」(日本孫文研究会編『孫文とアジア』東京:汲古書院、1993年)(→中国語訳:「孫中山《大亜洲主義》(演講)与戴天仇」(広東省孫中山研究会編『“孫中山与亜洲”国際学術討論会論文集』広州:中山大学出版社、1994年
*段雲章・沈暁敏「宋慶齢和戴季陶――以孫中山革命事業為軸心的左右分趨」(広州『中山大学学報(社会科学版)』1993年第3期)(→転載:宋慶齢基金会編『宋慶齢学術研討会論文集』北京:中国和平出版社、1994年)(→転載:「以孫中山革命事業為中心的左右分趨――宋慶齢与戴季陶」(中華人民共和国名誉主席宋慶齢陵園編『宋慶齢与中国名人』上海人民出版社、1999年
*髙綱博文「戴季陶の「共和思想」」(松村潤先生古稀記念論文集編纂委員会編『清代史論叢』東京:汲古書院、1994年)
*深町英夫「中国人の民族意識と日本――戴季陶の『日本論』」(東京外国語大学『歴史と未来』第20号、1994年)
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*望月敏弘「戴季陶の初期日本認識について――辛亥革命前後から日本亡命時期を中心に」(小島朋之・家近亮子編『歴史の中の中国政治――近代と現代』東京:勁草書房、1999年7月)
*劉迪「戴季陶の連邦主義思想について」(早稲田大学大学院『法研論集』第94号、2000年6月)
*Samarani,Guido
*久保純太郎「雑誌『新亜細亜』論説記事目録」(『神戸大学史学年報』第17号、2002年5月)
*兪慰剛「関於戴季陶日本観的変化――従《我的日本観》到《日本論》的再考察」(古厩忠夫教授還暦紀念論文集編輯委員会編『中日関係多維透視』香港社会科学出版社、2002年)
*余方徳『風流政客戴季陶』上海人民出版社、2003年
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*劉利民「近20年来戴季陶研究綜述」(蘭州『甘粛社会科学』2003年第4期)
*嵯峨隆『戴季陶の対日観と中国革命』東京:東方書店、2003年
*黎潔華・虞葦『戴季陶伝』広州:広東人民出版社、2003年
*久保純太郎「戴季陶における「中国革命」とその思想
*董世奎「戴季陶政治思想の研究:日本との関わりを通して」名古屋大学大学院博士論文、2006年
*劉利民『戴季陶早年思想研究』北京:中国社会科学出版社、2010年
*張玉萍『戴季陶と近代日本』東京:法政大学出版局、2011年(→中国語訳:『戴季陶与日本』北京大学出版社、2014年)
*滕峰麗『民国時期的三民主義――戴季陶思想研究(1909-1928)』鄭州:河南大学出版社、2012年
*毛利霞『黄埔名師戴季陶』北京:東方出版社、2014年
*劉文麗『激変時代的選択――戴季陶政治思想研究』北京:首都師範大学出版社、2015年
*朱虹「戴季陶における国民精神論の創出:「内なる近代化」への思想的道程」同志社大学大学院博士論文、2015年
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*陳徳仁・安井三吉編『孫文・講演「大アジア主義」資料集:1924年11月 日本と中国の岐路』京都:法律文化社、1989年
*石川禎浩『中国共産党成立史』東京:岩波書店、2001年
*蕭如平『国民政府考試院研究』北京:社会科学文献出版社、2008年
*安藤久美子『孫文の社会主義思想:中国変革の道』汲古書院、2013年▼
*胡向東『民国時期中国考試制度的転型与重構』武漢:湖北人民出版社、2008年
*秦昊揚『民国文官考試制度研究(1912-1949)』北京:国家行政学院出版社、出版時間不詳<2009年?>
▲*安藤久美子『孫文の社会主義思想:中国変革の道』東京:汲古書院、2013年
*嵯峨隆『アジア主義と近代日中の思想的交錯』東京:慶應義塾大学出版会、2016年
*Torsten Weber、“Embracing ‘Asia’ in China and Japan:Asianism Discourse and the Contest for Hegemony、1912-1933”、Palgrave Macmillan、2018
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