「スタンレー・ホー」の版間の差分

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マカオのカジノ運営権を[[2002年]]まで独占していた「Sociedade de Turismo e Diversões de Macau(澳門旅遊娛樂股份有限公司、マカオ旅行娯楽会社)」の経営者であり、マカオで最も富裕な人物であると同時に、[[アジア]]における上位富豪の一人に数えられ、雑誌[[フォーブス (雑誌)|フォーブス]]の[[2006年度世界長者番付]]において、世界で59番目の長者に選ばれている。その収入はマカオの[[国内総生産|GDP]]のおよそ三分の一を構成するとされ、また、2003年度に納めた税額はマカオ政府の歳入の30%に達した。
 
ホーの香港市場への支配力はマカオととかなりの部分及んで強力なものであるとされ、[[朝鮮民主主義中華人民共和国|北朝鮮]]、[[ベトナム]]、[[フィリピン]]などでの投資も場合により活発に行っている。現在は中華人民共和国の特別行政区となった香港に在住し、第9期・第10期・第11期[[全国政治協商会議]]常務委員)<ref>{{Cite news
| url = http://www.people.com.cn/GB/shizheng/252/10307/10412/20030303/934489.html
| title = 全国政协常委何鸿燊博士:扎根澳门 热爱祖国
| newspaper = 人民網
| date = 2003-03-03
}}</ref>などの役職を務めている。香港市場への支配力もかなりの部分に及んで強力なものであるとされ、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]、[[ベトナム]]、[[フィリピン]]などでの投資も場合により活発に行っている。
}}</ref>などの役職を務めている。
 
== 来歴 ==
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[[1962年]]には、盟友の[[霍英東]]、妹[[スージー・ホー]]の夫[[テディ・イップ]]、そして当時のギャンブル界の大物であった[[イップ・ホン]]の協力を背後に、マカオにおけるギャンブル権を獲得。観光客の誘致のため、ホテルの建設や[[港]]の整備、香港とマカオとを結ぶ[[高速艇]]([[TurboJET]])の整備などを行い、やがてその後30年のうちに、得たギャンブル権を独占的に用いつつ、さしたる変哲もない[[ポルトガル]]の一植民地に過ぎなかったマカオを[[東洋]]一のギャンブルの街に育て上げた。<ref name="r1"/>
 
[[アジア通貨危機]]の禍を受ける直前の[[1997年]]には、自身の経営するマカオ旅行娯楽会社の売上高は20億ドルに達していた<ref name="r1"/>[[1999年]]にマカオが[[中華人民共和国]]に返還された後[[シェルドン・アデルソン]]の[[ラスベガス・サンズ]]などの参入で独占的ギャンブル権を喪失したものの、現在においてもグランド・リスボアなどの主要なカジノのオーナーとして君臨している
 
==家族==