「大阪鉄道 (2代目)」の版間の差分

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|種類 = [[株式会社]]
|国籍 = {{JPN}}
|本社所在地 = [[大阪府]][[南河内郡]][[富田林市|富田林町]]大字毛人谷522<ref name="NDLDC1184221"/>
|設立 = [[1899年]](明治32年)1月23日<ref name="NDLDC1184221"/>
|業種 = [[:Category:かつて存在した日本の鉄道事業者|鉄軌道業]]
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|代表者 = 社長 [[佐竹三吾]]<ref name="NDLDC1184221"/>
|資本金 = 16,410,000円(払込額)<ref name="NDLDC1184221"/>
|特記事項 = 上記データは1940年(昭和15年)11月1日現在<ref name="NDLDC1184221">[{{NDLDC国立国会図書館デジタルコレクション|1184221/59}} 『地方鉄道及軌道一覧. 昭和15年11月1日現在』](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>。}}
(2代目)'''大阪鉄道'''(おおさかてつどう)<ref>古い文書では「大阪鐵道株式會社」。</ref>は、[[近鉄南大阪線|南大阪線]]・[[近鉄長野線|長野線]]など、現在の[[近畿日本鉄道]](近鉄)の路線の一部をかつて運営していた会社である。通称は「'''大鉄'''(だいてつ)」。
 
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== 沿革 ==
[[ファイル:Kaminotaishi Station accident.jpg|thumb|240px|[[上ノ太子駅]]での三重衝突事故(1929年4月14日)]]
* [[1898年]](明治31年)4月  - '''河陽鉄道'''、初の路線である現在の[[関西本線]]の[[柏原駅 (大阪府)|柏原駅]]から分岐し、[[富田林駅]]までに至る9.8kmの区間を開通させる(現在の近鉄[[近鉄道明寺線|道明寺線]]全線と、[[近鉄南大阪線|南大阪線]]・[[近鉄長野線|長野線]]の一部区間に相当)。
* [[1899年]](明治32年)5月  - 河陽鉄道、営業不振のため業務・債権債務を新設会社'''河南鉄道'''に譲渡して解散。
* [[1902年]](明治35年)12月  - 富田林駅 - 長野駅(現・[[河内長野駅]])間を開業、現在の長野線が全通した。
* [[1919年]](大正8年)3月  - 河南鉄道は、国有鉄道の支線的な性格から脱却すべく[[大阪市]]乗り入れを計画し、社名を'''大阪鉄道(大鉄)'''に改める。
* [[1923年]](大正12年)4月  - [[道明寺駅]] - 大阪天王寺駅間を全通させ、実質的に大阪市内乗り入れを達成<ref>隣接する[[天王寺駅]]の所在地は既に大阪市であったが、大阪天王寺駅(大阪阿部野橋駅)の所在地は、開業時はまだ[[東成郡]][[天王寺村]]であった。開業から2年後には大阪市へ編入され、名実ともに大阪市乗り入れとなった。</ref>、大都市に直結する郊外電気鉄道路線に脱皮した。開業区間は全線複線で、日本初となる直流1500V方式で電化されていた。
* [[1924年]](大正13年)6月  - 大阪天王寺駅を[[大阪阿部野橋駅]](あべの橋駅)に改名。
* [[1928年]](昭和3年)  - 日本の電車で当時最大の20m級(正確には19.5m)車体を持つ電車[[大阪鉄道デニ500形電車|デニ500形]]を投入。1930年までに派生形も含めて60両を製作、主力車となる。以後日本の[[日本国有鉄道|国鉄]]や[[大手私鉄]]には20m級電車が続々と出現するが、大鉄はその先駆である。
* [[1929年]](昭和4年)3月  - [[古市駅 (大阪府)|古市駅]] - 久米寺駅(現・[[橿原神宮前駅]]間)を開通、現在の南大阪線に該当する区間が全通し、既に開通していた[[吉野鉄道]](現在の近鉄[[近鉄吉野線|吉野線]]に相当)とあわせて大阪阿部野橋駅 - [[吉野駅 (奈良県)|吉野駅]]間の直通運転を開始する。
* [[1929年]](昭和4年)4月  - [[上ノ太子駅]]で衝突事故が発生。 [[日本の鉄道事故 (1949年以前)#大鉄電車三重衝突事故|大鉄電車三重衝突事故]]を参照。
* [[1929年]](昭和4年)8月  - 吉野鉄道が、現在の近鉄の直系母体である'''[[大阪電気軌道]](大軌)'''に吸収合併され、同社の吉野線となる。大鉄は、大軌の路線とは大阪 - 久米寺間で並行しており競争関係にあったが、大軌本来の路線は線路幅([[軌間]])が1435mm([[標準軌]])であったのに対し、大鉄と大軌に吸収された吉野鉄道は1067mm([[狭軌]])であったため、大鉄線 - 大軌吉野線の直通運転は利用客の便宜上継続された。
*1929年(昭和4年)10月  - この時の[[株主総会]]で、大鉄の大株主となった大軌の重役でもあった[[金森又一郎]]や[[種田虎雄]]が大鉄取締役に就任。以後、大鉄の経営は大軌の影響下に置かれるようになった。
* [[1934年]](昭和9年)  - 子会社の大鉄百貨店を創立。
* [[1937年]](昭和12年)11月  - 阿部野橋駅に大鉄百貨店が開業(今の[[あべのハルカス|あべのハルカス近鉄本店]])。
* [[1939年]](昭和14年)1月  - 大鉄工学校(今の学校法人[[阪南大学]]・[[阪南大学高等学校・中等部|阪南大学高等学校]]の前身)を創立。
* [[1939年]] - [[1940年]](昭和14年~15年)  - 大軌線の橿原神宮前駅(久米寺駅手前の、現・近鉄[[近鉄橿原線|橿原線]]線上にあった駅)、大鉄線の橿原神宮駅・久米寺駅(隣接駅)が統合されて橿原神宮駅(後の[[橿原神宮前駅]])が設置される(2-3回に分けて統合された)。
** [[1940年]](昭和15年) - 「[[紀元二千六百年記念行事|皇紀2600年]]」にあたり、初代天皇とされる[[神武天皇]]を祀る[[橿原神宮]]で大祭が催される事になったため、橿原神宮とその最寄駅の拡張・統合が前年頃から行われていた。
* [[1943年]](昭和18年)2月  - 大鉄、'''[[関西急行鉄道]](関急)'''に合併される。
 
=== 合併後近鉄成立まで ===
* [[1944年]](昭和19年)4月  - 現在の近鉄[[近鉄御所線|御所線]]を経営していた旧大鉄の系列会社、南和電気鉄道が関急に合併される。大鉄百貨店を関急百貨店に再編。
* [[1944年]](昭和19年)6月  - 関急は[[南海電気鉄道|南海鉄道]](南海)と合併、'''[[近畿日本鉄道]](近鉄)'''が発足(旧南海鉄道の路線は[[1947年]](昭和22年)6月に、再び[[南海電気鉄道]]へ分離された)。
 
== 保有路線 ==
1940年(昭和15年)10月当時
* [[近鉄南大阪線|本線]]:大阪阿部野橋 - 橿原神宮駅
* [[近鉄道明寺線|柏原線]]:道明寺 - 柏原
* [[近鉄長野線|長野線]]:古市 - 長野
 
当時の系列鉄道会社
* [[近鉄御所線|南和電気鉄道]]:尺土 - 南和御所町
 
[[File:Osaka Railway Linemap 1943.svg|thumb|none|500px|路線網(1943年1月31日)]]
== 車両 ==
* [[大阪鉄道デイ1形電車|デイ1形]](後、近鉄モ5601形、モ5631形、モ5801形) - 日本初の直流1500V電化に対応した車両
*デロ20形(後、近鉄モ5621形) - 廃車後、[[高松琴平電気鉄道]]に譲渡され[[高松琴平電気鉄道20形電車#20形 (3代)|20形]]となる
*デハ100形(後、近鉄モ5651形)
* [[大阪鉄道デニ500形電車|デニ500形]](後、近鉄モ6601形他) - 日本初の20m級電車
 
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== 関連項目 ==
* [[藤井寺教材園]]
* [[藤井寺球場]]
* [[きんえい]] - 大鉄映画劇場の後身。
* [[佐竹三吾]] - 関急合併まで社長を務め、『大鉄全史』を著した。
 
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