「古今亭志ん橋 (6代目)」の版間の差分

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'''[[船遊亭志ん橋]]も参照。'''
* 古今亭志ん橋 - ([[嘉永]]5年1月([[1852年]]1月ないし2月) - [[大正]]12年([[1923年]])[[9月1日]])本名は伊藤圧次郎。[[伊東荘次郎]]の名で[[新派]]の[[俳優]]になった。[[関東大震災]]で死去したとされる。
* [[雷門志ん橋]] - ([[1889年]][[12月6日]] - [[1930年]]2月)本名は山崎角太郎。1907年3月に[[雷門助六#6代目|6代目雷門助六]]門下で6代目にあたる[[喜久亭寿楽]]から雷門寿楽となり、[[1920年]]12月に睦会の七人同時真打の中の1人となり雷門志ん橋と改名した。酒に溺れ、旅先の四国丸亀で死去。俗に「坊主の志ん橋」という
* 古今亭志ん橋 - (生没年不詳)[[古今亭志ん生 (4代目)|4代目古今亭志ん生]]の門で古今亭馬丈から古今亭志ん橋となった。昭和の初め頃まで雷門・古今亭の二人志ん橋の時期があった。
* 古今亭志ん橋 - 後の[[金原亭馬生 (10代目)|10代目金原亭馬生]]。