「大須賀允」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m +cat
33行目:
 
== 来歴 ==
小俣小で野球を始め、足利市大会で優勝。坂西中では県大会に出場した。[[群馬県立前橋工業高等学校|前橋工業]]2年夏と3年夏に甲子園に出場してともにベスト4。3年夏は準々決勝で[[三上真司 (野球)|三上真司]]、[[東出輝裕]]を擁する敦賀気比に延長10回サヨナラで勝利。準決勝で[[川口知哉]]の平安に敗退。甲子園通算31打数9安打.290。高校通算20本塁打を放ち、高校日本選抜に選ばれる。高校時代に大型遊撃手として注目され、ドラフト指名も噂されたが進学。[[東北福祉大学硬式野球部|東北福祉大]]では1年春からレギュラーとして活躍し、その年日米大学野球代表。ベストナイン4回。大学通算打率.326、20本塁打。1999年シドニー五輪代表候補。大学では広島時代もチームメイトの[[石原慶幸]]と同期。
 
=== プロ入り前 ===
足利市立小俣小学校で野球を始め、足利市大会で優勝。足利市立小俣小学校では県大会に出場した。
[[群馬県立前橋工業高等学校]]に進学後は2年夏と3年夏に甲子園に出場してともにベスト4。3年夏は準々決勝で[[三上真司 (野球)|三上真司]]、[[東出輝裕]]を擁する[[敦賀気比高等学校・付属中学校|敦賀気比高等学校]]に延長10回サヨナラで勝利。準決勝で[[川口知哉]]の[[龍谷大学付属平安中学校・高等学校|平安高等学校]]に敗退。甲子園通算31打数9安打.290を記録。
 
在学中は大型内野手として高校通算20本塁打を記録。また高校日本選抜にも選ばれるなど、ドラフト指名も噂されたが[[東北福祉大学硬式野球部|東北福祉大学]]に進学することとなった。
 
同大学では1年春からレギュラーとして活躍し、その年には日米大学野球代表にも選出された。大学通算打率.326、20本塁打を記録、ベストナイン4回受賞。1999年にはシドニー五輪代表の候補にも選出された。
 
広島時代もチームメイトの[[石原慶幸]]は同大学の同期であった。
 
=== プロ入り後 ===
[[2001年]]にドラフト6巡目指名で[[読売ジャイアンツ]]に入団。
 
42 ⟶ 51行目:
[[2007年]]は自身初の開幕一軍メンバーに入り、16試合に出場したが、打率は.150と低迷した。
 
[[2008年]]は一軍出場が無く、10月に球団より[[戦力外通告]]を受ける。現役続行を希望し同年の[[12球団合同トライアウト]]に参加するも、獲得する球団は現れず現役引退を決意。今後は、パソコンを勉強し、野球に関する事業を始める予定と語った<ref>{{Cite web|date=2008-12-28|url=http://www.daily.co.jp/baseball/retire/2008/12/28/0001629725.shtml|title=パソコン勉強し野球に関する事業開始へ(広島 大須賀允内野手)|publisher=デイリースポーツ|accessdate=2011-05-18}}</ref>
 
今後は、パソコンを勉強し、野球に関する事業を始める予定と語った<ref>{{Cite web|date=2008-12-28|url=http://www.daily.co.jp/baseball/retire/2008/12/28/0001629725.shtml|title=パソコン勉強し野球に関する事業開始へ(広島 大須賀允内野手)|publisher=デイリースポーツ|accessdate=2011-05-18}}</ref>。
 
=== 引退後 ===
2009年1月、元プロ野球選手の[[小早川幸二]]が[[代表取締役]]を務める通信企業会社「K-アシスト」に入社した<ref>{{Cite web|date=2010-09-23|url=http://www5.nikkansports.com/baseball/imai/98676.html|title=元巨人、広島・大須賀允「(株)K-アシスト」/引退後記|publisher=日刊スポーツ|accessdate=2011-05-18}}</ref>。