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Katzenfrucht (会話 | 投稿記録)
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== 生涯 ==
後漢の[[明帝 (漢)|明帝]]の[[永平 (漢)|永平]]末年([[75年]])から宦官として宮廷に登用された。[[章帝 (漢)|章帝]]代には位の低い小黄門であったが、[[和帝 (漢)|和帝]]即位後の89年には[[中常侍]]にまで登り詰めた。さらに誠実な人柄や学問や工作を好む点、また潔癖な身の振る舞いが評価され、97年には尚方令という役職を得た。これは剣などの武器類やさまざまな品物の製作監督や製造技術確立を任務とした。
 
[[元興 (漢)|元興]]元年([[105年]])、蔡倫は樹皮・麻クズ・破れた魚網などの廃棄物の材料を用いて紙を製造し、これを和帝に献上した。蔡倫の作った紙は優秀であったため、「蔡侯紙」と呼んで皆が使用した。従来、文章を記すのには[[竹簡]]、または[[絹織物]](縑帛‐けんばく)製のもの(蔡倫以前はこれを「紙」と呼んだ<ref>[[s:zh:說文解字/13#糸部|『説文解字』糸部]]「紙、絮一苫也。」</ref>)があったが、竹簡は重く、「紙」は高価であるという欠点があった。