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[[ファイル:Ca' Rezzonico - La cioccolata del mattino - Pietro Longhi.jpg|thumb|240px|right|チョコレートは18世紀には貴族の間のおしゃれな飲み物となっていた。「朝のチョコレート」[[ヴェネツィア]]の画家ピエトロ・ロンギの絵画。.1775年–1780年]]
{{See also|チョコレートの歴史}}
紀元前2000年ごろから主に[[中央アメリカ]]においてカカオの栽培が始められ、アメリカ先住民族の間で嗜好品や薬用として珍重され<ref>{{Cite web |url=http://www.shokuiku-daijiten.com/mame/?p=1535 |title=チョコレートは薬だったって本当? |website= 食育大事典 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20180528134433/http://www.shokuiku-daijiten.com/mame/?p=1535 |archivedate=2018-05-28 |accessdate=2019-06-10}}</ref>、マヤ族、のちにはアステカ族も貨幣として使用したそうだ。飲み方は、[[コーンミール]]や[[トウガラシ]]を入れることが普通であった。
 
カカオは[[1492年]]に[[クリストファー・コロンブス]]によって[[ヨーロッパ]]へと紹介され、やがて[[アステカ帝国]]などの中央アメリカ諸王国を滅ぼしてこの地方を支配した[[スペイン人]]にも好まれるようになった。そして彼らを通じ、徐々に[[ヨーロッパ大陸]]にも浸透していった。この過程で、スペイン人はチョコレートの苦味を打ち消すためにトウガラシの代わりに[[砂糖]]を入れるようになり、このやり方が他のヨーロッパの国々に伝わる際も引き継がれた。当初、チョコレートは[[薬]]として扱われたが、砂糖を入れることによって徐々に嗜好品へと姿を変えていった。17世紀中ごろには[[イギリス]]に到達し、そのころ隆盛した[[コーヒー・ハウス]]においてもさかんに供された<ref>{{Cite book |和書 |author=小林章夫 |title=コーヒー・ハウス 18世紀ロンドン、都市の生活史 |page=51 |series=講談社学術文庫 |publisher=講談社 |date=2000年10月 |isbn=4061594516}}</ref>。この時期には、チョコレートはヨーロッパの王侯貴族や富裕層にとって贅沢な飲み物として受け入れられていた。